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エコの原典・最近の「老子」人気を探ってみた

エコの原典・最近の「老子」人気を探ってみた

2010年2月27日

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中国4千年の思想は、山脈のように奥深い……。
なんだか老子が好きだという20~30代の人が増えている。カシハラの周りだけなのか? と思って、ある書店の店員さんに伺ったところ、「過去の名言集や思想集を新しく書き換えた本が人気ですね。難解に書かれていた解説が簡略化され、思想が読みやすく、わかりやすくなった上に、文字も大きくなったので一般の人でも読みやすくもなった」というお言葉が。
でもなんで今さら老子? 授業で習ったようなものがなぜ復活? なんだかモヤモヤしてきたので、周りの新しい老子ファンに、直接なんで好きなのかを聞いてみた。

すると新しいファンには2つの種類があるがことが判明!! 
一方は、風水占い派。有名な中国の富豪が老子をもとにした風水を広めていて、そこから老子を読むようになったというグループ。どちらかというと占いのような感覚で老子を読み始めたそう。宇宙と人生の根源的な不滅の真理を、老子の本でも説いていることから、その真髄を知るために老子ファンになったのだとか。好きなものは探求するファンならはですねぇ。

もう一方は、節約エコ派。老子が言っている「足るを知る」という思想が、節約やエコにつながるんだそうです。文化人類学者でもあり、環境啓蒙家の辻信一さんの『スローライフのために「しないこと」』という本の中にも、老子の思想がスローライフやエコに通じると書かれているのだとか。

いやぁ、紀元前から言われていたことを今さらのように新しく感じるのも時代なのでしょうか。「いろいろな教えやマニュアルを教える本が増えすぎていて、みんな同じに見えてしまう。それを上回るものをみんな探していて原点に戻って、行き着いたのが中国の思想家なのではないか?」というファンの声も。

それにしても人間の真髄が変わらないとしたら、なんのためにこの何千年はあったのでしょうかねぇ~。なんとなくむなしい気分に……う~ん。
(カシハラ@姐御)



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老子(ろうし、生没年不詳、紀元前5世紀頃)年齢は数百歳とも伝えられる。史記の記述を真実とするならば中国の春秋時代の思想家。姓は李。名は耳とされ、唐の皇帝から宗室の祖と仰がれた。『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されることもある。

目次 [非表示]
1 伝記
2 書物としての『老子』
3 関連項目
4 外部リンク


伝記 [編集]
『史記』「老子韓非列伝」によると、老子は楚の国の苦県(現在の中国河南省鹿邑県)生まれで、姓は李、名は耳、字(あざな)は聃(タン、伯陽とする説もある)といった。孔子が礼について教えを乞うたことがあったが、老子は戒めて「古代の賢人は空言のみ残って、骨は朽ちている。君子など時流に乗れなければ、あちこち転々とするだけだ。そなたの驕気と多欲、もったいぶった様子とかたよった思考を取り去りなさい」と教えたという。孔子はその感想を「鳥や獣や魚など、様々な動物はそれぞれ捕らえる方法がある。しかし竜だけは、風雲に乗じて天に昇ってしまうため、捕らえようがない。老子もまた竜のような人物だといえようか。」と弟子に語った。

老子は周の王室の書庫の記録官だったが、後年周の衰えを見て立ち去った。このとき老子が通過した関所で、関守の尹喜の頼みを受けて書き残したのが『老子』上下巻5000余字であるという。上下巻の最初の一字「道」と「徳」を取って『道徳経』または『老子道徳経』とも呼ばれる。

また、『史記』では老莱子、太史儋という二人の人物も老子ではないかと記されている。

老子の思想は神秘主義から処世訓まで多岐にわたるが、その原理は万物の根本である道によって表される。 道とは、全ての存在を規定する原理であると同時に、それら全てを生み出した母なる存在でもある。道はあまりに広大で漠然としているので定義や解釈を超えているが、人為を廃し自然であることが道に通ずるとされる。このような態度を無為自然といい、老子はこれを処世から統治まで全てに適用すべきだと考えた。(但し、『老子』の本文には無為はあっても無為自然なる語は登場しない。)

『老子』は逆説を多用し、非体系的で随所に矛盾や飛躍が見られるため難解な部分も少なくないが、その深遠な思想は現代に至るまで影響を保ち続けている。

老子が西方(インド)の地で釈迦となり、仏教を興したという説(化胡説)は、道教が他説に対する優位を主張するための創作と考えられる。しかし仏教の「空」と道家思想の「道」には類似点があるため、仏典が漢訳される時道家思想の用語が訳語にあてられたり、道教の教団化にあたって仏教の教団組織が参考されたりするなど、仏教と道家思想は互いに影響しあっている。

老子の思想が道教に発展すると、老子は道教の祖として崇められるようになり、神格化されて唐のころに道教の最高神である三清の一柱、太上老君となった。『史記』に伝えられた老子の姓が李であることから、唐朝帝室の李氏は祖先を老子に求めたので、老子は聖祖大道玄元皇帝とおくり名され、ますます尊崇を受けた。

書物としての『老子』 [編集]
詳細は「老子道徳経」を参照

1973年、馬王堆漢墓(第三号墓)から前漢初期の『老子』写本が二種類発見され、1993年には、郭店一号墓から楚(戦国時代 (中国))後期の『老子』写本(の一部分)が発見された。これらにはいずれも『老子』という書名は付されていなかった。 前漢文帝時代以前とされる馬王堆本『老子』はほぼ現行本と同じ内容であり、このころに『老子』は完成したと考えられる。ただし、現行本の下篇(徳経)が前、上篇(道経)が後になっている。史記の記述から、『老子』が老子の著作とされたのは、前漢初期より以降武帝時代以前であったと考えられる。注釈としては、魏の王弼(ACE226-249)の「老子注」が最古で、かつ最も普及している。

大自然との闘い・治水が古代(神話上は禹の時代から始まるとされる)から政治課題だった黄河文明に対して、自然の法則(道)と一体化することにより、いわば風向きをうけとめ大きな作用を生もうとする精神は、長江文明の風土を感じさせる。 近年『老子』のテキストが発見された馬王堆漢墓・荊門郭店楚墓はいずれも長江流域である。

「自然を観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。ところが人間社会の制度は正反対をやっている。欠乏している百姓から高い税を取り上げ、すでにあり余っている君主に差し上げる。どこかの君主がその財力で、天下万民のために貢献してくれたら、有道の君主といえるだろう(天之道、損有餘而益不足、人之道則不然、損不足以奉有餘、孰能有餘以取奉於天者、唯有道者乎)」(馬王堆前漢墓帛書『老子』)

過去の文献を基礎とする儒学に対し、目の前に働いている大自然の摂理を見極め、これに逆行する不自然な発想をとりのぞき、政治も軍事も福祉をも抜本的に改善しようとする遠大な理想、聖人の治世が『老子』の主張であった。 また馬王堆漢墓から発見された帛書『黄帝四経』も同じ立場の思想が語られ、『史記』に記された「黄帝・老子(黄老)の学」の内容が改めて明らかになった。

by momotaro-sakura | 2010-02-27 12:11