坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷隆盛だった!?

続・独りよがりの読書論⑩から

坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷隆盛だった!?

慶応3(1867)年11月15日午後9時過ぎ、潜伏先の醤油商・近江屋の2階で、坂本龍馬は刺客に襲われた。1の太刀で額を真横に切り裂かれた龍馬は、床の間に置いてあった大刀の方へにじり寄るところを背後からばっさりと2の太刀を浴びせられる。このとき、龍馬は実に気味の悪い嫌な悲鳴を上げたと、後に暗殺者が語っている。続く3の太刀を龍馬は辛うじて鞘ごと受けるが、体を深く切られ、絶命する。

暗殺の直後から今日に至るまで、暗殺者は誰かということが議論されてきたが、数ある説の中で、「京都見廻組の今井信郎ら7人の刺客が龍馬を襲い、今井が命を奪った」という説が、現在では定説となっている。『坂本竜馬を斬った男――幕臣今井信郎の生涯』(今井幸彦著、新人物往来社。出版元品切れ)の中で、この説が詳しく検証されている。因みに、著者は今井信郎の孫に当たる。


今井信郎
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今井 信郎(いまい のぶお、天保12年10月2日(1841年11月14日) - 大正8年(1919年)6月25日)は、幕末から明治時代初期に活躍した武士である。徳川方に着き、京都見廻組に参加しており、近江屋事件で暗躍したとされている。

生涯 [編集]
幕府講武所の柔術師範だった窪田鎮勝から扱心流体術を習い、榊原鍵吉から直心影流剣術を習い、講武所の剣術師範代を勤めた。

遊撃隊頭取として京都に赴き、上京後、佐々木只三郎の京都見廻組に参加した。


佐々木 只三郎(ささき たださぶろう、天保4年(1833年) - 慶応4年1月12日(1868年2月5日))は、日本の武士・旗本、京都見廻組隊士。泰昌、唯三郎とも。兄に手代木勝任(直右衛門)がいる。

略歴 [編集]
陸奥国の会津藩領内(福島県)に会津藩士・佐々木源八の三男として生まれる。親戚であった旗本佐々木矢太夫の養子となる。神道精武流を学び「小太刀日本一」と称され、幕府講武所の剣術師範を勤めたと伝えられる。

京都守護職の会津藩主・松平容保に従う兄・勝任を動かし、清河八郎の策を容れ、文久2年(1862年)、浪士組結成に伴い京都へ上る。只三郎は決裂した清河に抗し、京都残留を決めた近藤勇らを京都守護職の支配下に置くように取り計らった。文久3年(1863年)には江戸へ戻り、麻布で窪田泉太郎などと共に浪士組の清河八郎を暗殺する。

元治元年(1864年)には京都見廻組を率い、新選組と共に尊攘派志士から恐れられ、蛤御門の変にも出動。元見廻組隊士今井信郎の証言から、慶応3年(1867年)の京都近江屋での土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺したとされる(近江屋事件)。

戊辰戦争が勃発すると幕府軍の一員として鳥羽・伏見の戦いに参戦するが、樟葉(枚方市付近)で腰に銃弾を受けて重傷を負い、和歌山に敗走中紀三井寺で死去。享年35。

墓所は和歌山県和歌山市の紀三井寺、福島県会津若松市「武家屋敷」内



イギリスの「歩兵操練・図解」を翻訳し、幕府の洋式歩兵部隊の編成を窪田鎮章(窪田鎮勝の子)と進めていた古屋佐久左衛門により組織された衝鋒隊(鳥羽伏見の戦いで戦死した佐久間近江守の第11連隊と、やはり戦死した窪田鎮章の第12連隊の残存兵力を結集)の副隊長になり、戊辰戦争を箱館まで戦い抜いた。明治3年(1870年)、箱館で降伏。

今井信郎は、近江屋事件での坂本龍馬暗殺の犯人は、自分であると証言する。また明治時代初期に今井は坂本龍馬を殺したとして、官軍(薩摩軍)により逮捕され投獄された。しかし西郷隆盛の働きかけで処刑されることなく釈放される。西南戦争がおきるとかつての部下を集めて九州に向かうが、途中で西郷軍壊滅の報が届き解散する。官軍の支援に行くのではなく、助命嘆願してくれた西郷を助けに行くのが目的だったという。

その後は静岡県榛原郡初倉村(現・静岡県島田市)に帰農し、初倉村の村議及び村長を勤める。当初はキリスト教を迫害していたが、横浜の教会でたまたまキリスト教の教義を知り大いに感銘を受けて自らの不覚を愧じ、ついにその信者となって後半生は矯風事業に貢献した。坂本直が主宰した坂本龍馬の法要にも出席している。
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龍馬暗殺の実行者は誰かという問題は解決したものの、暗殺を指令した黒幕は誰かという、より重要な問題が謎のまま残されたことになる。これまでに、松平容保、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、後藤象二郎など、さまざまな黒幕説が立てられている。『竜馬伝説を追え』(中村彰彦著、学陽書房・人物文庫)は、これらの黒幕説をすべて検討した上で、「黒幕は西郷隆盛」という結論を下しているが、この仮説には有無を言わせぬ説得力がある。

この本は、入社したばかりの女性編集者の質問に作家が答えるという形で話が進行するため、龍馬のことだけでなく、幕末という激動の時代の複雑な潮流も、すっきりと分かる。幕末史の入門書としても十分役に立つと思う。

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西郷が黒幕だという証拠があるのか。『龍馬暗殺の謎――諸説を徹底検証』(木村幸比古著、PHP新書)は、状況証拠をいくつか挙げている。


●龍馬は真剣に徳川慶喜を新政府の議長席に座らせるつもりでいた。天皇親政が実現する
 ならば、265年間、政権を担ってきた徳川幕府の長に議長ポストという恩典を与えてもよいと
 龍馬は考えていた。ところが、あくまで武力討幕を貫こうとする薩長は龍馬の考えに猛反対
 であった。薩長同盟のコーディネイターであった龍馬も、薩長にとって今や邪魔な存在と
 化し、密かに暗殺が企てられたのだ。
●慶応3年10月14日の慶喜の大政奉還と同時に討幕の密勅が薩長に下っていた。前年に
 成立した薩長同盟は武力討幕を決めていたが、龍馬が推進する平和革命の大政奉還の
 せいで、討幕計画挫折の可能性が高まってきた。薩摩は土佐とも盟約を結んでいたが、
 このままでは討幕の大義名分を失ってしまう。薩摩は、あくまでも武力討幕を実現させた
 かったのだ。龍馬暗殺事件直後、西郷が同志宛てに「今回のこと土佐にとっては不幸中の
 大幸なり」と書き送り、疎ましい存在となっていた龍馬の暗殺を肯定的に評価している。
●薩長にとって、龍馬の存在が新政府を樹立する上で目障りであったのは事実だが、これに
 は龍馬が薩長間を往来する間に両藩の内情を知り過ぎたという一面もあった。
●越前藩の前藩主・松平春嶽が、「薩摩藩が武力討幕に失敗した結果、龍馬を逆恨みして
 陰謀を企てたに違いないと政治形勢から直感した」と書状の中で綴っている。
●明治2(1869)年、今井は、箱館(現在の函館)戦争の降伏人として反乱罪で取り調べを
 受け、龍馬暗殺に関わっていたことも加えられて検挙されたが、西郷の助命措置により
 一命を取り留めている。


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西郷は暗殺というような手段を弄する人物なのか。勝海舟の言葉を集めて編まれた『氷川清話』(勝部真長編、角川文庫)で、勝はこう語っている。「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲(隆盛)だ。横井は、西洋のことも別にたくさんは知らず、おれが教えてやったくらいだが、その思想の高調子なことは、おれなどは、とてもはしごを掛けても、およばぬと思ったことがしばしばあったよ。・・・その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方がまさるほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。・・・横井の思想を、西郷の手で行なわれたら、もはやそれまでだと心配していたのに、はたして西郷は出て来たわい」。「坂本(龍馬)が薩摩から帰ってきていうには、『なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばか(馬鹿)なら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう』といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ」。

このように西郷も龍馬も傑出した人物であり、互いに実力を認め合っていた。当時、西郷は薩摩の実質的なリーダーであり、武力討幕は彼の信念であり、基本戦略であった。西郷というのは、己の信念のためならば、自分の命を捨てても惜しくないという男であった。その信念の前に立ちはだかる敵対者の命についても、同じように考えたと、私は推考している。まして、龍馬は侮れない実力、影響力の持ち主であったのだから。

ここで、西郷の戦略家としての心理と行動を如実に物語る証拠を挙げておこう。大政奉還に続く、慶応3年12月9日の王政復古の直後、政治的に慶喜の息の根を止める必要があると考えた西郷は、江戸で浪人を組織して、乱暴狼藉の限りを尽くさせた。御用党と称するこの集団は、強盗、殺人まで起こして江戸の町を荒らし回った。怒った幕府は、遂に薩長軍に対して宣戦を布告する。鳥羽・伏見の戦いが起こり、イギリスの後押しを受け軍備に勝る薩長主力の新政府軍が圧勝する。こうして西郷の狙いは見事に当たり、目的を遂げたのである。


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龍馬の発想と行動を知るには、『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著、文春文庫、全8巻)が最適である。龍馬の思想は、勝と横井の影響を強く受けており、西郷らが目指す武力革命とは一線を画し、平和的に日本を幕藩体制から共和的政体へ変革しようというものであった。そして、何と言っても龍馬はスケールの大きな快男子であった。font>
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横井の全体像は、『慶喜を動かした男――小説 知の巨人・横井小楠』(童門冬二著、祥伝社文庫)で知ることができる。横井の思想は、新国家の将来構想ともいうべき龍馬の「船中八策」、明治元年の「五箇条の誓文」、明治7年の「民撰議院設立建白書」へと受け継がれていくのだが、横井の思想の独創性、先見性を理解するには、『国是三論』(横井小楠著、花立三郎訳、講談社学術文庫。出版元品切れ)が便利。
by momotaro-sakura | 2010-05-10 10:57