第62回岩本町・東神田ファミリーバザール由緒ある問屋街が総力を挙げてお送りする大イベント!

第62回岩本町・東神田ファミリーバザール
由緒ある問屋街が総力を挙げてお送りする大イベント!
紳士・婦人・子供服、日用雑貨など数万点をメーカー卸売価格以下にて大放出!
日 時 2010年5月28日(金)~30日(日)、6月4日(金)~6日(日) 10:00~18:00
場 所 会場詳細はこちら
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【交通】
(1)都営地下鉄新宿線「岩本町」駅下車(A4番出口)
(2)JR総武線「秋葉原」駅下車(昭和通り出口)
(3)東京メトロ日比谷線「秋葉原」駅下車(4番出口)
(4)つくばエクスプレス「秋葉原」駅下車(A1出口)
出店舗数 179店舗
イベント イベント詳細はこちら↓
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後 援 千代田区、まちみらい千代田 ほか
問合せ 岩本町・東神田ファミリーバザール実行委員会
TEL.03-3865-5951
Eメール info●family-bazar.com(●を@に変えてお送りください)
参照先 http://www.family-bazar.com/index.html



「岩本町・東神田ファミリーバザール」の開催地である岩本町(東京都千代田区)およびその周辺の歴史や史跡・名所などをご紹介します。 温故知新「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」、岩本町の新たな一面を見つけてみませんか。



神田柳原川岸通りの図(部分)


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 私達の住む岩本町が、江戸の初期、どう言う名称で呼ばれていたかは、定かでありません。 この地域は、古くは雁淵(がんぶち)とか、笹原(ささはら)と言われる沼地が一面に広がっていました。 沼地がいつ頃、埋めたてられたのか分りませんが、亨保年間(1716年~1735年)以前の一時期、 不老山無量寺寿松院と言うお寺があり、間もなく元鳥越(もととりごえ)に移転し、その跡地が、松平太郎八の武家地になったと、しるされています。 今の行政区画とは、もちろん異なりますが、岩本町ができたのは、亨保年間(1716年~1735年)の事です。

 北の玄関口「和泉橋」は天和(てんな)3年(1683年)の古い地図にも記載があります。藤堂和泉守高虎の創架と言われ、当時は「和泉殿橋」と呼ばれていました。近くに松平伊豆守の屋敷もあり幕臣の家々が、今の町会単位の大きさで並んでいました。 その脇を流れる神田川は、火災や洪水の防止と物流の大動脈として万治4年(1661年)に堀割され、 堀った土は盛りあげられ、土手を築き、柳の木を棺え、柳原土手と言われる基礎ができました。しかし、その土手も明治6年に取りこわされました。

  明治14年頃には、神田川にそった道の両側に、「吊しんぼう」と呼ばれる古着屋が100軒程も並び、常設の古着市場が開かれました。 明治30年代には400軒あまりにもなり、裸電球が軒を照らし、店員の手ばたき、掛け声も高く、昭和10年頃迄つづき、東京の名所として全国にその名を、とどろかせました。 又、川に添った場所には、レンガ造りの米倉も建ち並び、米俵をかつぎ、 細い板を軽ろやかに渡る荷揚人足の姿もみられました。ギンヤンマが川面をかすめ、魚釣りや水泳ができた川でした。昭和2年頃までは市電も走り、通りには「松竹館」と言う活動写真館もあり、皆は「土手活(どてかつ)」と呼んでいました。

 大正12年の関東大震災では、東京全体で57万戸が焼失。死者、行方不明14万人を出し、神田川にも火災をのがれ水に入ったが、川面を火がなめて多くの死者を出したと聞いております。 昭和のはじめ、大規模な区画整理があり、かつて、二六横丁と呼ばれ、にぎわっていた通りも昭和通りとなり、又、東西には靖国通りができ、柳原土手の市電が移りました。現在の町会の区分も、この頃できました。

 現在の岩本町6番の所には柳原橋があり、浜町川が流れ、日本橋方面に向う荷物を山積みした舟で混雑していました。 今は暗渠(あんきょ)となり、大和橋の下は駐車場となって、昔の面影をしのぶ事はできません。 その頃(昭和初期)、今の6番、7番、8番、9番の所は、お菓子の製造店とか、玩具の問屋が多くあり、 アメの匂いがたちこめていました。当時の行政指導でしょうか、店々はその後、錦糸町や合羽橋に移転しました。 10番、現在の山崎製パン(株)本社の所には、古着市場があり、当初は木造の床店と露店で営業をしておりましたが、昭和の初め4階建ての近代ビルができ、地階は飲食店、4階には「和泉橋ダンスホール」があり当時の社交場として、にぎわっておりました。昭和10年頃の古着市場の様子は、朝6時より正午迄が営業時間で今の築地市場の混雑ぶりでした。一軒が畳2帖の床店で赤毛せんを敷き、着物・洋服の古着を並べて、呼び声高く、ソロバン片手に真剣勝負。 売れ残ったら、大風呂敷に包んで、大八車に積んで毎日、持ち帰るシステムです。午後は子供達の遊び場です。 間仕切りのパイプで鉄棒遊び、鬼ゴッコ、かくれんぼ等で遊ばれた経験をお持ちの町会員も多いと思います。

 昭和20年。東京地区は大空襲に見舞れ、区内でもいたる所が爆弾攻撃を受け、多数の死者、家屋の焼失をまねき、人口・戸数とも急減しました。当町会も焼け野原となり、総武線から浅草橋の方まで見通す事ができました。 今では信じがたい事です。昭和の4階建近代ビルも焼失しました。戦後、占領軍の一声、防衛庁の前身、特別調達庁が入り、その後、全国中等学校教料書出版(株)になり、現在の山崎製パン(株)本社ビルができあがりました。

 焼け野原となった岩本町にも、バラックが建ちはじめ、紳士服や婦人服を中心とする繊維メーカーが主体となり、 町を復興していきました。町内会「企業対抗野球大会」も盛大に行なわれ、昭和通りの真中で、お祭や盆踊り大会も行なわれる様になり、とてもにぎやかでした。昭和44年、昭和通りの上に首都高速1号線ができ、地下鉄も開通し町の様子は一変しました。地下鉄「日比谷線」「新宿線」の開通でビルが建ち並び、ご存知の通り多種多様の企業が営業しております。以上、駆け足で町の歩みをみてきました。 町の移りかわりが、いくらかでも分って戴ければ幸です。多くの人達がつどう場所ですので皆様で町を大切に守っていきましょう。 今後とも町会に対する御理解、御協力を、よろしく御願いします。


江戸時代、武家や商家が建ち並び栄えた岩本町界隈。古い歴史を持つ岩本町と、その周辺には史跡や名所が点在しています。主な所をご紹介します。

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岩本町馬の水のみ広場

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 この場所は、江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送(米・野菜・魚介類・材木等)のために荷車を引く牛馬の水飲み場として、また、街道を往来する人々の休息の場として、重要な役割を果たしてきました。

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千代田区役所


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和泉橋

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 この橋を和泉橋といいます。『御府内備考』には藤堂和泉守屋敷前の通りに架かるゆえに呼名としたとあります。橋を渡った右側が和泉守の屋敷跡で、神田和泉町の町名が残っています。
 神田川の南岸沿いには、柳を植えた土手が築かれていたので、この辺を柳原といい、橋の北側一帯を向柳原といいましたが、明治初年ごろに、柳は枯れたり取除かれ、また関東大震災後の区画整備で、土手も平になりました。橋はたびたびの火災で焼けましたが、明治25年(1892)に鉄橋となり、欄干の唐草模様の中に、神田和泉の文字が崩し模様になっていました。
 大正5年(1916)に鋼橋に架け替え、さらに昭和2年(1927)帝都復興事業の一環で拡張されました。長さ35.8メートル。幅44メートル。鋼橋。

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平成元年3月 千代田区教育委員会





「ファミリーバザール」の歴史
 「ファミリーバザール」の由来は、岩本町で働く社員やその家族、知り合いの人々を対象とした、狭い範囲の文字通り“家族向けの売り出し”でした。
 当初は小規模なバザールでしたが、瞬く間に「いい商品が安く買える」というウワサが広がり、回を重ねるたびにその規模は拡大し、平成21年には30年の節目を迎えます。

 岩本町としての歴史は、おおむね江戸時代までさかのぼりますが、それ以前の歴史は諸説あり、定かではありません。徳川家康が江戸に居を定めた後、二代将軍秀忠の時代に外濠の改修が行われました。その事業の一環として今日の神田川が人工的に誕生しました。
 川筋にあたる土を堤防のように両岸に積み上げ、その土手に柳の木を植えたことで一名、柳原土手通りと呼ばれました。その土手に沿って古着屋が店を出し、多くの賑わいをみせたそうです。“繊維の街”として知られる今日の岩本町問屋街の原型がこの頃に出来上がりました。

 明治・大正を経て、売る商品も着物から洋服へと変わり、特に第二次大戦後は洋服の大生産地に発展し、その洋服は全国の百貨店や専門店のウインドーを華々しく飾りました。神田川脇の和泉橋公園内には、その頃の事情を記した千代田区教育委員会の由来碑が建っています。

 やがて、大量生産のもと一部流行遅れの品物や規格外れの商品が数多く出回るようになったため、それらを格安の値段で提供したのがファミリーバザールの始まりです。それが除々に評判となり、今日では繊維業全盛の頃の面影を町の中で見ることはできませんが、年2回開催される「ファミリーバザール」は、その頃の賑わいを彷佛とさせてくれます。

 岩本町に隣接する須田町、和泉町、秋葉原には、昔ながらのおいしい食べ物屋さんも数多くありますが、近頃ではつくばエクスプレスの開通で秋葉原が大変身、電気街“アキバ”として新しい若者文化の発信基地となり大人気です。
 「ファミリーバザール」へお越しになったら、ぜひ須田町やアキバに行ってみてはいかがですか。

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ファミリーバザールで掘り出し物探し
 このファミリーバザールもお陰様で30年近くも続いていますが、ほかで開催されている類似イベントは縮小、または中止に追い込まれている中、当バザールは皆様のご支援のお陰で年々規模も大きくなり、ますます盛大になっています。
 
 先般、ご来場いただいたお客様方に、このファミリーバザールに対してのご意見・ご要望等をアンケートにてお答え頂きましたところ、
◎ファミリーバザールが大好き、楽しみにしている。
◎年2回のバザールをずっと続けてほしい。
◎良い品を格安で提供していて感謝している。
◎バザールの開催回数を年3~4回に増やしてほしい。
等々…
 
 ただ一部厳しいご意見として、もっと目新しい商品がほしい、バザールがマンネリ化しているのではないか等のご意見もありましたが、多くのお客様より大変うれしいご意見をお聞かせいただき、感激しています。
 このご期待に少しでも添えるように、粗悪品、偽ブランド品等は絶対に展示販売しないこと、毎回バザール開催前に各出店商社一社ごとに実行委員会が面接、商品チェック等をして指導に当たっております。
 バザール開催期間中、お客様がお買い上げいただいた商品に対しては、ファミリーバザール実行委員会が責任をもって対応いたしますので、安心してお買い物をしていただければと思います。

 開催ごとに発行するファミリーバザールのチラシの裏面に“お買い得品情報”と記載されている商品、また開催中、各出店商社の店頭で“特別提供品”という黄色い貼り紙にうたっている商品は、ほかでは絶対にその値段では買えない特別低価格での提供品です。
 開催中、もしその商品が早々に売れてしまった場合、また別の特別提供品を出品するようになっています。これがファミリーバザールの掘り出し物探しの醍醐味です。心より皆様のご来場をお待ち申し上げております。

by momotaro-sakura | 2010-05-28 13:26