2010年 08月 09日
県内教職員「精神疾患」で長期療養・休職 過去最多
うつ病など精神性疾患のため長期療養休暇を取るか休職した県内の教職員が2009年度は171人に上り、過去最多となったことが27日、県教委の調査で分かった。文部科学省が行っている全国調査でもここ10年、精神性疾患による教員の休職が全国的に増加。県内の学校現場からは業務が多忙で相談しあえる環境が整っていない-などとする指摘が出ている。
県教委保健厚生課は、家庭の問題や個人的な事情などさまざまな要素が絡んでいて要因はつかみにくいと説明。今後分析し、支援策の検討などを進めるとしている。
調査は公立の小中学校、高校、特別支援学校の常勤教職員が対象。疾病による休みが30日を超える長期療養休暇と休職の合計は321人で、このうち最も多い原因は抑うつ状態やうつ病など「精神系」の171人(53・3%)だった。
保健厚生課によると、精神性疾患で長期療養休暇を取るか休職した教職員は02年度に100人を突破。増加傾向はその後も続いている。
県教委は予防策として、教職員対象のメンタルヘルス研修会のほか、管理職が部下の異変に気付き早期に対応するための研修会を開いているとしている。療養中の教職員の復職支援としては、徐々に現場に戻る職場リハビリなどを実施しているという。
文科省の調査では08年度、精神性疾患で休職した教員は全国で5400人。10年間で約2・8倍増えた。
(信濃毎日新聞 5月28日(金))
「信濃毎日新聞」より長野県教育委員会の調査で精神疾患により長期療養・休職する教職員が過去最多となり、近年増加傾向にあるようです。また、教職員の精神疾患は全国的にも増加傾向にあるようです。
生徒に限らず、先生も精神疾患が増え心のケアが必要になってきているようです。スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの支援も先生もその範囲に入れておく必要がありそうです。また学校医にも精神科の医師を起用することも考えられるべきでしょう。
教育現場はここ数年のうちに極めてストレスの強い現場になっているといえそうです。そこにもってきて「相談しあえる環境」が教育現場に欠けているとなりますと、その相談が出来る場を設定するしかありません。それが学校医、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーということになりそうなのですが、学校の先生の精神疾患にはこの三者と学校の役割分担を明確にしてチームアプローチで当事者の先生にかかわっていくことが必要ですね。
しかし、一昔前なら教員の悩み事や困りごとは、学校の同僚同士で一杯やりながら(必ずしも一杯やる必要はありませんが・・・)愚痴をこぼし合うことでストレスを解消し、精神疾患を未然に食い止めることが出来ていたように思われます。そのようなコミュニケーションの場が学校の教育現場から少なからず消えているということでしょうか。孤立無援の状況で日々の教育活動を行っている ― 現代の学校での先生の姿は淋しく一人で仕事をこなす光景が浮かんできます。
教育現場と心の病気
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/bankyu/education2009.htm
朝日新聞「いま先生は」連載。
朝日新聞「いま、先生は」の1回目より。
「今の学校は失敗しながら伸びてゆくゆとりがない。教師を育てられない学校が、子どもを育てられるだろうか」。教師という職業は過酷だと思う。新卒をいきなり現場に出す。私の職場の場合6月末までは研修。一人で仕事はかなり掛かる。
5:21 PM Jul 18th
YoruFukurouから
.sadayuki
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教え子を「戦場」に送らないために(2)
2010/7/26(月) 午後 0:20
朝日新聞の連載「いま、先生は」の第2回(7月20日)は、新任教師の自殺をめぐる内容だった。
静岡県磐田市の小学校教師・木村百合子さんが自家用車内で焼身自殺したのは、市立小学校に採用されて半年後のことだった。
生前、友人宛に次のようなメールを送ったという。
「悪いのは子どもじゃない、おまえだ。おまえの授業が悪いから荒れるーーと言われ、生きる気力がなくなりそうに感じました。苦しくて。苦しくて。苦しくて。」
百合子さんは、「誰も助けてくれない」と感じていたようだという。
記事は、ある教師の言葉で締めくくられている。
「今の学校は失敗しながら伸びていくゆとりがない。教師を育てられない学校が、子どもを育てられるだろうか」
前政権は、教員定数を少子化のテンポを上回る率で削減してきた。
教師の多忙化が著しく進み、教師の同僚性が弱まった。
自分の仕事をこなすだけでも精一杯で、新任を含む同僚を助ける余裕が奪われているのである。
同記事によれば、公立学校(小中高と特支)で定年前に早期退職する教員は、全国で毎年1万2千人を超え、この5年間では6万7千人に及ぶという。
とりわけ、関西や首都圏での早期退職者が多い。
1位は大阪府堺市で、2009年度の場合、全教員に占める早期退職率は3.14%。全国平均が1.51%だから、平均の2倍を超える異常事態だ。
以下は京都市(2.78%)、大阪市(2.62%)、千葉市(2.27%)、東京都(2.12%)と都市部が続く。
文科省の調査(2006~08)では、公立小中学校の9割以上が「勤務時間以外でする仕事が多い」と回答している。一般企業の2倍だ。
「気持ちが沈んで憂うつ」という教員は27.5%で、一般企業の約3倍に当たるという。
在職中に死亡した教員の数は、2005年度612人、06年度594人、07年度642人、08年度602人、09年度650人で、この5年間に計3,100人が亡くなっているという。
生徒が多様化する中で、政府は思いつきのような「教育改革」を連呼し、他方で大規模クラスは放置し、教育予算と教員数を削減し続けてきた。
拙著『英語教育のポリティクス:競争から協同へ』(2009)で繰り返し指摘してきたように、国の歳出に占める教育費の割合は、1975年には12.4%だったが、小泉内閣の2002年度には8.2%、2004年7.5%、2006年6.6%へと削減され続けてきた(大谷泰照氏の調査を参照)。
OECD報告では、国内総生産(GDP)比でみた日本の教育機関への公的支出は3.5%で、30カ国中の最下位である。
加えて、国が交付した教材費を土木工事費などに流用する自治体も多い(『英語教育』2007年11月号の菅正隆論文)。
日本は先進国に例のない40人学級制を続け、平均クラスサイズは小学校28.8人、中学校34.3人と過大なままだ。
OECD平均(小21.8人、中23.7人)を大幅に上回り、最下位から2番目である。
逆に、教員の労働時間は最も長い。
こうして、教師の過労による病休は過去10年間で約2倍に達し、精神疾患は3倍以上に及んでいる
繰り返し言おう。
これは、仕組まれた「殺人」である。
希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)
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朝日に連載された『いま、先生は』から思う。(1)
ショックだった。
この連載に書かれた事例の数々。
でも、矛盾するようだが、そのショックを覚える事例の背後にあるものは、ほとんど心当たりのあるものだった。
結論を先に言ってしまおう。
わたしが子どものころと比べても、また、わたしが初任者だったころと比べても、社会は大変貌を遂げた。人間の気質を中心に、学校を取り巻く環境は大きく変わった。
それなのに、学校の果たすべき役割、学校の指導体制など。そういったものはほとんど変わっていない。いや。むしろ、むかしながらのやり方を強いられる。その象徴が、『学級を組織し、学級を基盤とし、そこで行われる教え込み、つめ込みの一斉学習』となるのではないか。
いまだ、教え込み、つめ込みの授業信奉者は多い。また、『子ども主体、子どもが主人公の授業などあり得ない。絵空事だ。』とする教育実践家(?)も大勢いる。
世の中の風潮もそうだ。
いわく。授業時数増、学習内容増、ペーパーテスト的意味での学力の向上。
再度言わせていただこう。
社会は大変貌を遂げたのだ。人間の気質を中心に、学校を取り巻く環境は大きく変わったのだ。
もっと具体的に言えば、
じっと席について落ち着いて学習に取り組むことのできない子どもが増えているのだ。荒れる子ども、キレる子どもなどなど。ああ。そうした現実があるのに・・・、
それなのに、そこで行われる授業が旧態依然たるもので、ちっとも改革の兆しがないどころか、時代逆行の改悪ばかりであれば、学校教育の矛盾は深まるばかりであること。自明ではないか。
ああ。『いま、先生は』の連載第一回目に書かれた悲劇の初任者は、まさにそうした教育体制の犠牲者ではなかったか。
授業が下手?
そんなのは当たり前ではないか。初任者なのだもの。最初から上手にできる教員などいない。
それに多くのベテラン教員だって・・・、
おもしろいブログを見つけた。わたしと同じ初任者指導に携わっていられる方のブログだ。
風にふかれて 孤立 命絶った教師
現実を的確に言い当てているように思うので、該当部分をそっくり引用させていただこう。
『私は、断言してもいいが、多くのベテラン教師だって、初任者と同じようなレベルで「授業が下手」なのである。べらべらべらべら、授業の最初から最後まで喋り続けている。いわゆる説明だらけなのである。』
ほらね。これが、『旧態依然たる授業』の現実なのだ。
気になることがある。
初任者を責める前に、
この初任者は4年生の担任だったとのことだが、それなら、入学以来3年間の授業はどうだったのか。
経験とカンだけで授業をして、まあ、見た目には落ち着いているようにみえる、そんな授業をしていなかったか。
というのは、それまでの教育実践がしっかりしていれば、いかに授業が下手な初任者が担任したって、ふつうは、そんなに荒れるような状況にはならないからだ。
これは、6年間、初任者指導に携わってきた経験から言える実感だ。
もっとも、初任者の資質にかかわる部分や、学校が立地している地域、地域の特性もないわけではないから、その辺の見極めは必要だけれどね。
でも、落ち着いて考えれば、これら、ベテラン教員も、ある意味、時代の犠牲者なのかもしれない。
これは、同連載3回目にくわしいが、テスト、テストで追いまくられてきたのかもしれない。
そうであれば、これまで授業改善の機会など、与えられてこなかったとも言える。
ここで、話を少し変えさせていただく。
こういうことを書くと、これも時代のすう勢だが、『やれ、管理体制が強化されたから、』『やれ、多忙で時間がないから、』そういう声が聞こえてくる。
また、世間からは、『やれ、組合が強いから、』『やれ、教員が怠けているから、』などという声も聞こえてくる。
わたしは、それらを否定はしない。そういう現実もあるだろう。
しかし、では、『そういう現実が一切解消したら、日本の学校教育はよくなるか。』
そう問われれば、首をかしげざるを得ない。
やはり、冒頭に少しふれさせていただいたが、もっと根源的な、日本社会の現実にまで話を進めなければならないだろう。
それは、次回以降に譲らせていただこう。
この連載、『いま、先生は』を読ませていただくと、毎回、教員の悲劇がつづられているのですが、
でも、そのなかに、『教職は生きがい』という内容もけっこうあって、救われる思いになります。
そう。そう。前記事とり上げた、『師弟愛』を思わせるような内容もけっこうあるのです。
もう二つ、書かせてください。
・先ほどの、ベテラン教員ですが、自ら命を絶った初任者のメモには、初任者に対し、『おまえ』と言っているふしがあります。
ほんとうにこう言っているのでしょうか。ちょっと信じられません。
・先ほどの、わたしと同じ初任者指導に携わっていられる方のブログには、
『(初任者への)支援は、具体的に、継続的にしなければいけなかったのである。』
とも書かれています。
ほんとうにその通りだなと思います。
今という時代は、特にそれが大切でしょう。どの地域のどの初任者にも、そうした指導を受ける権利が保障されますよう、願わずにはいれません。
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出典・教育の窓・ある退職校長の想い
http://blog.livedoor.jp/rve83253/