震災復興へ 卜伝、見参!

震災復興へ 卜伝、見参!
2011.9.9 07:25
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現在放映中の「水戸黄門」第43部制作発表会見。左から内藤剛志、雛形あきこ、東幹久、里見浩太朗、的場浩司、林家三平=6月27日、東映京都撮影所
 茨城県でこの夏、2人の歴史上の人物が話題になった。水戸藩2代藩主、徳川光圀と、鹿島(現鹿嶋市)出身の戦国時代の剣豪、塚原卜伝(ぼくでん)で、それぞれをモデルにしたドラマの話だ。

 光圀は、もちろんTBSテレビの「水戸黄門」。40年以上の間、放送されてきたが、年内で終了することが発表され、ゆかりの地・水戸、常陸太田、那珂市の市長らがそろってTBSへ「放送継続の要望書」を持参する事態になった。ドラマ終了は「地域の観光振興に大きな影響が及ぶものと懸念」(要望書)されており、震災復興にも影を落としかねない。県も巻き込んだ対策が必要となろう。

 一方、NHKのBS時代劇で、10~11月に放送されることになったのが「塚原卜伝」(堺雅人さん主演)。鹿嶋市では、平成19年度から「卜伝を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を」と市観光協会など関係団体が協力し、キャンペーンを展開してきた。今回は大河ではないが、同市は「今後のまちづくりの原動力にしたい」(内田俊郎市長)と意気込む。

 全国区の黄門に対し、卜伝の知名度は高くない。神職の家に生まれ、父祖伝来の剣術などをもとに鹿島新当流を開くなど生涯無敗の「剣聖」だが、史料が少なく、3度にわたる30年以上の廻国(かいこく)修行のため「謎多き生涯」でもある。

 キャンペーンでも、鹿島神宮などの元神職、矢作幸雄さんが約40年の研究をもとにドラマ化の判断材料となる脚本資料をつくり、83年の生涯を描いた歴史小説「無敗の剣聖 塚原卜伝」(講談社)もこのほど出版。「剣は和をもたらすためのもの」「殺人剣から活人剣へ」など、人間・卜伝をアピールしている。

 同市観光協会アドバイザー、安林昇さんの勧めで小説を読んだ。帯に「戦乱の世に打ち取った敵は212人! 矢傷6カ所以外に傷ひとつ受けなかった」とある。さまざまな人との交わりから剣術の神髄を悟っていくスリリングで、爽快感漂う作品になっている。作家、津本陽さんの原作とともに、ドラマへの興味を誘う。

 すでにロケも行われ、鹿嶋市はドラマへの期待に包まれている。安林さんは「市内の書店では、矢作さんの本の売り上げの一部を寄付する店も出てきた。本にもドラマにも地域振興、県全体の震災復興への思いが込められています」と話す。

 ちなみに、地元の記録などによると、卜伝の命日は3月11日である。(水戸支局長 三保谷浩輝)産経ニュース




BS時代劇『塚原卜伝』制作開始のお知らせ


『テンペスト』に続く、BS時代劇の第3シリーズ『塚原卜伝』(連続7回)の制作を7月15日(金)より開始します。

■主演 塚原新右衛門(後の卜伝)役は堺 雅人さん


戦国時代に剣の聖地・鹿島に生まれ、幼少より鹿島中古流の太刀を学び、17歳で武者修行の旅に出て、生涯数多の真剣勝負や合戦に臨んで一度も負傷しなかったという伝説的な剣豪・塚原卜伝。
波乱万丈の死闘を潜り抜け、鹿島神宮に千日間の参籠をしてついに会得した「一つの太刀」とは。
有名ではあるが、いままであまり映像化されたことのない謎に満ちた卜伝の青年期を中心に、その実像に迫る斬新な時代劇です。ご期待下さい。

【主 演】 堺 雅人
【原 作】 津本陽 「塚原卜伝十二番勝負」
【脚 本】 山本むつみ、高山直也

【放送予定】
 第1回 10月2日(日) BSプレミアム 午後6:45~7:58 (73分)
 第2回~最終回(第7回) BSプレミアム 日曜午後6:45~7:28 (43分)

【収録予定】
 7月15日(金)~ 緑山スタジオ収録 



 



「塚原卜伝」公式サイト http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/bokuden/




堺 雅人(さかい まさと、1973年10月14日 - )は日本の俳優、声優。宮崎県宮崎市出身。(出生は兵庫県神戸市)。宮崎大学教育文化学部附属中学校、宮崎県立宮崎南高等学校卒業。早稲田大学第一文学部中国文学専修中退。血液型O型。身長172cm、体重60kg。靴27cm。 3人兄弟の長男。


ウィキペディアより

鹿島神宮の神官・鹿島氏の四家老の一人である卜部覚賢(吉川覚賢)の子として常陸国(現在の茨城県)の鹿島に生まれる。幼名は朝孝。時期は不明だが後に塚原安幹の養子となる。同時に諱を高幹とした。塚原氏の本姓は平氏で、大掾氏の一族・鹿島氏の分家である。

実父からは鹿島古流(鹿島中古流とも)を学び、義父からは天真正伝香取神道流を学んだ。『関八州古戦録』『卜伝流伝書』によれば、松本政信の奥義「一の太刀」も養父の安幹から伝授されたという(松本から直接学んだという説、卜伝自身が編み出したとする説もある)。やがて武者修行の旅に出て、己の剣術に磨きをかけた。『卜伝百首』の後にある加藤信俊(相模守)による序では、39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も負傷しなかったと記述されている。生涯に斬って捨てた剣士の数は、記録に残っているだけでも212人である。よく知られている真剣勝負に川越城下での梶原長門との対決がある。

弟子には唯一相伝が確認される雲林院松軒(弥四郎光秀)と、諸岡一羽や真壁氏幹、斎藤勝秀(伝鬼房)ら一派を編み出した剣豪がいる。また、足利義輝や北畠具教にも剣術を指南したという。また、この両者には奥義である「一の太刀」を伝授したとされている。

剣聖と謳われ、好んで講談の題材とされる。

そのうちのひとつに「無手勝流」というものがある。琵琶湖の船中で若い剣士と乗り合いになり、相手が塚原卜伝だと知ったその若者が決闘を挑んでくる。卜伝はのらりくらりとかわそうとするが、血気にはやる若者は卜伝が臆病風に吹かれて決闘から逃れようとしているのだと思いこみ、ますます調子に乗って卜伝を罵倒する。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて決闘を受けることを告げ、若者と二人で小舟に乗り移る。そのまま卜伝は近傍の小島に船を寄せると、若者が船を飛び降りるや否や櫂を漕いで島から離れてしまう。取り残されたことに気付いた若者が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は「戦わずして勝つ、これが無手勝流だ」と言って高笑いしながら去ってしまうというものである。これは『甲陽軍鑑』にある話だが、どこまでが真実かは判然としない。

また、若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込んだ際、囲炉裏の鍋の蓋を盾にしたとする逸話があるが、塚原の死後に宮本武蔵は誕生しており、これは史実ではない。

『天真正伝新当流兵法伝脉』では、鹿島沼尾郷田野(現・鹿嶋市沼尾)の松岡則方の家で死去とする。『鹿島史』によれば元亀2年3月11日(1571年3月6日)、83歳で死去。 法名は宝剣高珍居士。墓は須賀村(現・茨城県鹿嶋市須賀)の梅香寺にあるとするが同寺は焼失し、墓のみが現存している。位牌は近くの長吉寺にある。

門下 [編集]

伝承上弟子とされる人物も含む
雲林院松軒
諸岡一羽
真壁氏幹
斎藤勝秀
松岡則方
足利義輝
北畠具教
細川幽斎
今川氏真
林崎甚助
上泉信綱
by momotaro-sakura | 2011-09-25 10:25 | ブログ