中国の反日デモ拡大、野田首相「邦人の安全確保求める」

中国の反日デモ拡大、野田首相「邦人の安全確保求める」
2012年 09月 16日 14:51
[北京/成都/東京 16日 ロイター] 日本政府による尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に反対するデモが16日、前日に引き続き北京の日本大使館前で行われたほか、広東省深センや四川省成都、上海などにも拡大している。

デモは15日、中国50都市以上で発生し、1972年の日中国交正常化以来、最大規模に発展している。首都・北京の日本大使館前では16日にも、デモ隊の一部がペットボトルを投げるなどして暴徒化。機動隊が厳戒態勢を敷いている。

深センでは、通りを占拠した数千人のデモ隊を散会させようと、警察が催涙ガスや放水銃を使用するなどして両者の間に緊張が高まっている。

また、成都のほか、上海では数百人の警官隊が監視する中、約1500人のデモ隊が日本総領事館に向かって行進した。

日本のメディアは日系のレストランや企業が襲撃されていると報道。16日付の日経新聞によると、山東省青島と江蘇省蘇州にあるパナソニックの電子部品工場に15日、暴徒化したデモ隊が乱入したほか、トヨタの販売店では放火や車両破壊が相次いだ。
こうした状況を受け、野田佳彦首相は16日、フジテレビなどの番組で「安全確保は、強く中国政府に求めていきたい」と強調した。

中国では、18日は満州事変の発端となった柳条湖事件から81年を迎える記念日となり、デモが続く恐れがある。

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柳条湖事件---柳条湖事件から81年
1931年(昭和6年、民国20年)9月18日(金曜日)午後10時20分ころ、中華民国奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)北方約7.5キロメートルの柳条湖付近で南満州鉄道(満鉄)の線路上で爆発が起き、線路の一部が破壊された[2]。

まもなく、関東軍より、爆破事件が中国軍の犯行によるものであることが発表された[2]。日本では一般的に、太平洋戦争終結に至るまで爆破は張学良ら東北軍の犯行と信じられていたが、実際には、関東軍の部隊によって実行された謀略事件であった[2]。

事件の首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐であり、ともに陸軍中央の研究団体である一夕会の会員であり、張作霖爆殺事件の首謀者とされた河本大作大佐の後任として関東軍に赴任した[2][注釈 2]。

爆破の直接の実行は、奉天虎石台(こせきだい)駐留の独立守備隊第二大隊第三中隊(大隊長は島本正一中佐、中隊長は川島正大尉)付の河本末守中尉ら数名によっておこなわれた[2]。河本中尉が伝令2名をともなって現場におもむき、斥候中の小杉喜一軍曹とともに線路に火薬を装填したのである[4]。これは、関東軍の自作自演(偽旗作戦)であった[注釈 3]。この計画に参加したのは、幕僚のなかでは立案者の石原と板垣がおり、爆破工作を指揮したのは奉天特務機関補佐官の花谷正少佐と参謀本部付の張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉であった。爆破のための火薬を用意したのは今田大尉であり、今田と河本は密接に連携をとりあった[5]。このほか謀略計画に加わったのは、三谷清奉天憲兵分隊長と、河本中尉の上司にあたる第三中隊長の川島大尉など数名であった[2]。

ただ、第二次世界大戦後に発表された花谷の手記によれば、関東軍司令官本庄繁中将、朝鮮軍司令官林銑十郎中将、参謀本部第一部長建川美次少将、参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らも、この謀略を知っており、賛意を示していたという
by momotaro-sakura | 2012-09-16 17:03