谷垣氏、派閥復帰せず=古賀派分裂状態に―自民

谷垣氏、派閥復帰せず=古賀派分裂状態に―自民

2012年9月22日 時事通信社

 自民党の谷垣禎一総裁は21日、退任後も出身派閥の古賀派に復帰しない意向を固めた。関係者が明らかにした。同派所属で谷垣氏を支持する一部議員も今後は会長の古賀誠元幹事長と距離を置く見通しで、同派は事実上の分裂状態となる。

 谷垣氏は当初、26日投開票される総裁選に再選を目指して出馬する意向だった。しかし、古賀氏は谷垣氏の支援要請を「若い人を支援したい」と拒否。谷垣氏は石原伸晃幹事長との候補者一本化にも失敗し、出馬断念に追い込まれた。 党内には「古賀氏の本命は石原氏」との見方も根強く、
谷垣氏周辺では「古賀氏に裏切られた」との反発が強まっていた。



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読売新聞がキャリア官僚100人を対象に実施したアンケート(2001年1月に紙面掲載)によれば、「2010年に活躍が予想される政治家」で1位(2位石原伸晃、3位額賀福志郎)、「21世紀中に首相になって欲しい政治家」では石原と共に1位に選ばれている[35]。

当初から弁護士志望で政治家になる気は全く無く、父からも「こういう仕事は世襲じゃないんだから、お前は継ぐな」と言われていたが、1983年(昭和58年)6月27日に父が急死、当時株主総会の集中日で弁護士として多忙を極めていた所を後援会から「ホテルで缶詰め」にされ、「警察の取り調べのように」出馬を要請された。7月3日に出馬を承諾、8月7日には補選で当選という慌ただしさだった[36]。なお、日本の歴史上で「弁護士経験者たる総理大臣」は初代日本社会党委員長片山哲と初代自民党総裁鳩山一郎のみ、「弁護士経験者たる自民党総裁」は鳩山一郎と谷垣のみである



父からも「こういう仕事は世襲じゃないんだから、お前は継ぐな
谷垣 専一(たにがき せんいち、1913年(大正2年)1月18日 - 1983年(昭和58年)6月27日)は、日本の政治家。従三位勲一等。文部大臣。妻は陸軍中将影佐禎昭の長女安紀。現自由民主党総裁の谷垣禎一は長男。

経歴 [編集]

京都府福知山市の造り酒屋谷垣松次郎の五男として生まれた。三高、東京帝国大学法学部を卒業後、農林省入省。

退官後、芦田均の地盤を引き継いで自由民主党公認で京都2区から第29回衆議院議員総選挙に出馬し当選、吉田茂の流れを汲む宏池会に所属した。その後、衆院選には8回の当選を重ね、この間、建設政務次官、厚生政務次官、自由民主党副幹事長、文部大臣(第2次大平内閣)等を歴任している。1983年に急死、これに伴う衆議院議員補欠選挙では、息子の禎一が地盤を承継して出馬、当選を果たしている


影佐禎昭
広島県沼隈郡柳津村(現・福山市柳津町)に生まれる。影佐家は代々、広島浅野藩士の家系。


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自民党「宏池会」(古賀派)の古賀誠会長が早々と統率力のない谷垣禎一総裁の次期総裁選不支持を表明
2012年03月19日 板垣英憲のブログより
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/641d08e21245aebf7575f22e4c9d31e6
by momotaro-sakura | 2012-09-22 10:00