台湾の馬総統が双十節演説で尖閣主権に言及 日本議員団、急遽欠席

台湾の馬総統が双十節演説で尖閣主権に言及 日本議員団、急遽欠席
2012.10.10 11:52産経ニュース
 【台北=吉村剛史】清朝を倒し中華民国の建国へと導いた辛亥革命(1911年)を記念する台湾の双十節式典が10日午前、台北市の総統府前で行われた。日本から祝賀のため日本議員団(中井洽団長)が台北入りしていたが、9日夜になって馬英九総統が祝賀演説で沖縄県・尖閣諸島(台湾名・釣魚台)に関して台湾の主権主張を盛り込むことがわかったため、日本議員団は双十節式典を欠席した。一連の尖閣騒動で先送りされた日台漁業交渉の再開にも影響しそうだ。
 式典を欠席した日本議員団は超党派の日華議員懇談会メンバーなど衆参両院の29人で、日華懇事務局や秘書ら10人も同行しており、招待された各国来賓の中でも有数の規模だった。

 議員団の1人によると、日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所(大使館に相当)が事前説明を行い、馬総統が尖閣に対する台湾の主権主張を盛り込むとの見通しを示された。このため議員団は、「9日夜に急遽(きゆうきよ)会合を開いて全員欠席を決めた」(同)という。

 ただ、議員団は式典の開会前に行われた総統府内での馬総統との会見には出席した。この席で日本側は馬総統に双十節の祝賀の意を伝えた。「日台友好と、尖閣の問題とを分けた」(議員団)という。



蒋介石の双十節演説を評す

          (一九四四年十月十一日)


 これは、毛沢東同志が新華社にかわって書いた論評である。


 からっぼで中味がなく、人民の関心をもっている問題になにひとつ答えていないのが、蒋介石《チァンチェシー》の双十節①演説の特色のひとつである。蒋介石は、大後方②にはまだ広大な土地があり、敵をおそれるにあたらないといっている。寡頭独裁の国民党指導者たちには、いまになってもまだ、政治を改革して敵をくいとめるどんな意図も能力もみられず、敵を防ぎとめるのに「土地」というできあいの元手しかない。だが、だれの目にもあきらかなように、この元手だけでは不十分である。なぜなら、正しい政策と人びとの努力がないために、日本帝国主義はまいにちこの残りの土地に脅威をあたえているからである。蒋介石は敵のこうした脅威をつよく感じていることだろう。そのことは、かれが脅威はないとくりかえし人民にのべていること、さらには「自分が黄埔《ホヮンプー》で建軍して③いらい二十年、革命情勢がこんにちほど堅固であったことはない」といっていることをみさえすればわかる。これこそ、かれがこうした脅威を感じていることのあらわれである。かれはまた、くりかえし、「われわれは自信をうしなって」はならないといっている。これこそ、国民党の隊列のなかに、国民党支配区の知名人のあいだに、すでに自信をうしなっている人が数多くいることのあらわれである。蒋介石はいま、この自信をもりかえそうとその方法をさがし求めている。だが、かれは、政治、軍事、経済、文化のどの政策どの活動にも、もりかえす方法を求めず、忠言をこばみ自己の非をつくろうという方法をさがしあてた。かれにいわせると「外国の観察家」はみな「わけのわからない」人間で、「外国の世論がわれわれの軍事と政治についてさかんに議論している」のはみな「日本侵略者と民族裏切り者のデマや悪だくみ」に乗せられているためだ、という。不思議なことには、ルーズベルトなどのような外国人までが、宋慶齢《ソンチンリン》などのような国民党員や国民参政会の多くの参政員およびすべての良心的な中国人とおなじように、蒋介石とその側近の耳ざわりのよい言いわけを信用しないで、「われわれの軍事と政治についてさかんに議論して」いる。蒋介石は、こういう現象に悩まされながらも、筋のとおった堂々たる論拠とおもえるものがなにひとつ見つからないでいたのだが、ことしの双十節になってようやくそれをみつけだした。なんと、かれらが「日本侵略者と民族裏切り者のデマや悪だくみ」に乗せられているためだ、というのである。そこで蒋介石は、その演説のなかでながながと、この「日本侵略者と民族裏切り者のデマや悪だくみ」なるものをひどくののしった。かれは、このようにののしれば、すべての中国人や外国人の口をふさぐことができると考えている。おれの軍事と政治についてこれ以上「さかんに議論する」ものがあれば、それは「日本侵略者と民族裏切り者のデマや悪だくみ」に乗せられているのだ、というわけである。われわれは蒋介石のこの指摘は笑止干方だと考える。なぜなら、国民党の寡頭独裁、抗戦の怠慢、腐敗と無能にたいし、国民党政府のファッショ的政令や敗北主義的軍令にたいしては、日本侵略者と民族裏切り者は、これまで批判したことがないどころか、それをたいへん歓迎しているからである。人びとからひとしく不満を買っている蒋介石の著書『中国の運命』については、日本帝国主義はなんども心からの賛辞をおくっている。また、国民政府とその統帥部の改組について、日本侵略者や民族裏切り者が一言半句でも口にしたのをきいたことはない。なぜなら、まいにち人民を抑圧し、まいにち負けいくさをやっているいまのような政府と統帥部をそのままにしておくことは、それこそ日本侵略者と民族裏切り者ののぞむところだからである。蒋介石とその一味が、これまで日本帝国主義から投降勧誘の対象とされてきたことは、事実ではないとでもいうのか。日本帝国主義がもとかかげていた「共産党反対」、「国民党消滅」という二つのスローガンのうち、「国民党消滅」はとっくにすてられ、「共産党反対」だけが残っているのは、事実ではないとでもいうのか。日本帝国主義者は、いまなお国民党政府にたいして宣戦していない。かれらは、日本と国民党政府とのあいだにはまだ戦争状態が存在していないといっているのである。国民党の要人たちの上海《シャンハイ》、南京《ナンチン》、寧波《ニンポー》一帯にある財産は、いまでも、日本侵略者、民族裏切り者によってりっぱに保管されている。敵の頭目、畑俊六は代表を奉化《フォンホヮ》におくって、蒋介石の祖先の墓前祭をした。蒋介石の側近たちは、こっそり使者をおくって、ほとんどたえることなく上海などで日本侵略者と連係をたもち、秘密交渉をすすめている。とくに日本侵略者の進攻が激化したときには、このような連係や交渉がますます多くなる。これらすべては、事実ではないとでもいうのか。このことからみて、蒋介石とその一味の軍事と政治について「さかんに議論している」人びとは、いったい「わけのわからない」人間なのか、それともわけのわかっている人間なのか。この「わけ」の出どころは、いったい「日本侵略者と民族裏切り者のデマや悪だくみ」なのか、それとも蒋介石自身とその一味にあるのか。
 蒋介石の演説のなかには、中国に内戦がおこることはないと言明したところもある。だが、かれはまた、「汪精衛《ワンチンウェイ》のやからの行為のごとく、あえて民国を裏切り、抗戦を破壊する人間は二度とあらわれない」ともいっている。蒋介石は、ここに内戦の理由をさがしもとめ、しかも、それをさがしあてたのである。記憶のいい中国人なら忘れることはないだろうが、一九四一年、ちょうど中国の裏切り者どもが新四軍の解散を宣告し、中国人民が内戦の危機を阻止するためにたちあがったとき、蒋介石はある演説のなかで、将来けっして「共産党討伐」戦争はおこるまい、おこるとすれば、それは反逆者討伐の戦争であろうといったことがある。また、『中国の運命』をよんだことのある人びとは、蒋介石がそのなかで、中国共産党は一九二七年の武漢《ウーハン》政府の時期に、汪精衛と「結託」したことがあるといったのをやはりおぼえているだろう。一九四三年の国民党中央執行委員会第十一回全体会議の決議では、さらに、中国共産党に「抗戦を破壊し、国家を危うくする」といういいがかりをつけている。いままた、蒋介石のこの演説をよむと、内戦の危険が存在しているばかりでなく、増大しつつあることを感じさせられる。中国人民がいまからしっかりと頭にいれておく必要があるのは、蒋介石がある朝とつぜん、いわゆる「反逆者」の討伐令をくだすだろう、そのときの罪名は、いわく「民国を裏切った」、いわく「抗戦を破壊した」、いわく「汪精衛のやからの行為のごとし」だということである。蒋介石はこういうやり方が得意である。かれは、[”广”の中に”龍”]炳勲《パンピンシュィン》、孫良誠《スンリァンチョン》、陳孝強《チェンシァオチァン》〔1〕などのやからを反逆者と宣告することは不得意であり、かれらを討伐することも不得意であるが、華中の新四軍と山西《シャンシー》の決死隊〔2〕を「反逆者」と宣告することは得意であり、しかもそれを討伐することはひじょうに得意である。中国人民がけっして忘れてはならないのは、蒋介石が内戦をおこさないと言明しているときに、そのかれがすでに七十七万五千の軍隊をさしむけており、これらの軍隊がいまもっぱら八路軍、新四軍、および華南の人民遊撃隊を包囲したり攻撃したりしている、ということである。
 蒋介石の演説は、積極的な面からいえば、からっぽで中味がなく、中国人民が熱望している抗日戦線の改善については、なんらの解答をもあたえていない。だが、消極的な面からいえば、この演説は、危険性にみちている。蒋介石の態度は、ますます常軌を逸したものとなっている。かれは、政治を改革せよという人民の要求にあくまでも反対し、中国共産党をはげしく敵視し、その準備している反共内戦のための口実をにおわせている。だが、蒋介石のこうした企図は、すべて実現できるものではない。かれが自分自身のやり方を変えたがらないなら、かれはもちあげた石で自分の足をうつことになるだろう。かれのいまのやり方はぜったいに適用するものではないから、われわれは、かれがそれをあらためるよう心から希望する。かれはすでに「言論のわくをゆるめる」と宣言している〔3〕以上、「日本侵略者と民族裏切り者のデマや悪だくみ」に乗せられているといった侮辱的なことばで人びとをおどかし、「さかんに議論」する口を封ずるべきではない。かれはすでに「訓政時期をちぢめる」と宣言している以上、政府を改組し、統帥部を改組せよという人びとの要求を拒否すべきではない。かれはすでに「政治的な方法によって共産党問題を解決する」と宣言している以上、内戦準備の理由をさがし求めるべきではない。


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歴史コラム

■ 中華民国(台湾)の双十節 -以徳報怨を思う-


 10月10日はお隣の中華民国(台湾)の建国記念日である双十節である。 1911年、清朝が満州人貴族を中心とする責任内閣制をつくり、財政政策として 外国借款による幹線鉄道の国有化を打ち出すと、各地で反対運動が起こり、四 川では暴動に発展した。こうした情勢の中で、1911年10月10日に武昌の軍隊 が革命の狼煙を上げた(辛亥革命)。すると、たちまち各省に広がり、同年末には を臨時大統領には孫文を選び、1912年1月1日に、南京で中華民国の建国を宣言して、 アジアで最初の共和制の国を立てた。

 第二次世界大戦後に中国共産党に大陸を奪われ、孫文の後継者である蒋介石 率いる中華民国はその首都を台湾の台北に移した。

 双十節がくると孫文と同時に、その後継者の蒋介石をも思い出すことがある。近 年、中華民国(台湾)で国民党が野党に転落したこともあり蒋介石の評価は下がって いる。第二次世界大戦後に中国共産党に大陸を奪われ台北に首都を移した国民党 の軍による台湾人弾圧の「白色テロ」もあり、台湾人の蒋介石に対する評価が低いの はわかるが、終戦時の「以徳報怨」の恩恵を受けた日本人にとっては別の受け止め かたがあっても良いのではないか?
 日本が昭和20年8月14日に、連合国によるポツダム宣言を受け入れ、米国が太 平洋戦争と言い、日本は大東亜戦争と称した戦争は終わった。

 このポツダム宣言は連合国を代表する米・英・中の対日降伏勧告であり、その中国 の正統政府は蒋介石率いる中華民国政府であった。
 当時、中華民国政府主席の蒋介石は敗戦の敵国日本を「以徳報怨」の度量をもって 扱ったのである。蒋介石は昭和20年8月15日午前10時に重慶中央放送からの 「抗戦勝利に際して、全国軍民および全世界人士に告ぐるラジオ放送」の中で次のよ うに 中国国民に呼びかけたのである。 「同胞よ、旧悪を思わず、人のために善をなすということは、我が民族至尊至貴の徳 性であって、我らは一貫して、日本人民を敵としないと声明してきた。今や敵軍は我 らと同盟軍とのために打倒された。我らは当然厳格に降伏条件を執行せねばならない が、報仇を企図してはならない。ことに敵国無辜の人民を侮辱してはならない。我ら はただ彼らに憐憫を表示し、彼らをしてその錯誤、罪悪を自責せしむべきである。も しも暴行をもって敵人の従来の暴行に回答し、侮辱をもって彼らの誤った優越感に回 答するならば、怨みは怨みと相報じ、永しへに終始することはないだろう。軍民同胞 一人一人が今日特別に注意しなければならないところである」。
 蒋介石の演説は、通常は側近の文案家が草稿を練ったが、このときは蒋介石自ら 筆をとったと言われる。

 蒋介石の中華民国(国民党)軍と死闘を繰り広げてきた日本の支那派遣軍総司令官 ・岡村寧次陸軍大将は後に次のように回送している。

「私は北京で何応欽将軍から、蒋介石総統の言葉を伝えられたとき唖然とした。即 ち、支那に来ている日本の軍隊を一人残らず帰国させていい。……文字通り唖然とし た。何応欽将軍は蒋介石総統の『怨みに報いるに徳を以てする』との偉大な哲学を、 日本軍が全面降伏した瞬間に実行に移したのである。私は、何応欽将軍からそういわ れたとき、穴があったら入りたい気持ちだった。しかし、北京のその会場にはあいに く私の隠れる穴はなかった。全く恥ずかしい思いで、ただいたずらに軍刀をぶら下げ たまま立ちつくすのみであった」。

 昨日まで殺し合っていた日本人に怨みに怨みを以て報いるのではなく徳を以て接し たのである。仮に、それらの処置が、毛沢東率いる共産軍との次なる戦争に備えて、 在華日本軍の武器弾薬がほしいという、高度の政治判断であったとしても、在華日本 人にとっては「地獄に仏」の処置であった。

 蒋介石の呼びかけはおおむね守られ、二百万余の日本軍民が無事に祖国の土を踏め たのである。
 一方、ソ連は日ソ中立条約の有効期間中にもかかわらず、昭和20年8月9日か ら満州、 南樺太、千島列島で背信の攻撃をし、57万5千人の日本軍人を強制連行し、極寒の シベ リアで重労働で酷使し6万2千人を死に至らしめた。また、満州等で略奪、日本人婦 女子 への婦女暴行などの蛮行を恣にした。「白い熊は紙の鎖につながれてはいない」。ソ 連は 約束を守らないというヨーロッパの酷評は事実だったのである。この悲劇の中で逃げ まどう 親子が生き別れになり、中国残留孤児が発生したのである。  このソ連の背信、非情、残酷さに比べると蒋介石の度量が理解できるのでないだろ うか。 (参考文献)
田村重信・豊島典雄・小枝義人著「日華断交と日中国交正常化」(南窓社)
松本あや彦著「台湾海峡の架け橋に」(見聞ブックス)
江藤淳編「占領史録 上」(講談社学術文庫)
林金茎著「梅と桜」(サンケイ出版)
中国国民党中央委員会党史委員会編「中国国民党略史」(近代中国出版社)

ノリオWEBより
by momotaro-sakura | 2012-10-10 13:40