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自民・谷垣氏「民主議員はまるでヒトラー・ユーゲント」

自民・谷垣氏「民主議員はまるでヒトラー・ユーゲント

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鳩山首相の所信表明演説を厳しい表情で聞く自民党の谷垣総裁(右)衆院本会議場 自民党の谷垣禎一総裁は26日、鳩山首相の所信表明演説の際、衆院本会議場の民主党新人議員らが演説の節目節目で、一斉に拍手とともに「そうだ!」などと歓声をあげたことについて、「ヒトラー・ユーゲント(ナチス党の青少年組織)がヒトラーの演説に賛成しているような印象を受けた」と皮肉った。国会内で記者団に語った。

 大島理森幹事長も同日の記者会見で、「平成17年の郵政選挙後、小泉純一郎首相(当時)に若い自民党議員が拍手していたが、それ以上だった」と語った。

 自民党は昨年8月、麻生太郎幹事長(当時)が勢力を増す民主党をナチス台頭になぞらえ、その後、釈明した経緯がある。




1930年代前半のヒトラー・ユーゲント

1922年2月25日、ナチス党員や党に共感する若者を組織した、党の付属組織(突撃隊の指揮下)の一つとして始まる。1926年7月3日、「ヒトラー・ユーゲント」と改称。党唯一の青少年組織として公認された。当初は男子のみだったが、1930年、「ドイツ女子青年団(BDM)」が作られ、1932年にヒトラー・ユーゲントに組み込まれている。1933年7月20日、ヴァチカンはナチスと「政教条約」を締結、宗教目的の各組織の保護を取り決め、ドイツ国内での法的地位を明確にさせた。7月29日、ヒトラー・ユーゲント団員が同時に宗派的青年団に所属することを禁止し、カトリック青年団以外の全ての青少年組織を吸収、一元化した。1936年12月1日、「ヒトラー・ユーゲント法」により、党組織から公式に国家組織(10歳以上強制加入、他青年団組織の禁止)となった。

ヒトラー・ユーゲントとは、男子を未来の兵士として、女子を未来の兵士を生む母として育てるための組織だった。

ショル家の子供達がユーゲントの活動に参加していた1935年頃は大まかに下記の4つの組織から構成されていた。

  男子:  ヒトラー・ユーゲント(14歳~18歳) ドイツ少年団(10歳~14歳)
  女子:  ドイツ女子青年団(14歳~18歳) ドイツ少女団(10歳~14歳)

各組織には約3000人単位の部隊があり、各部隊はその下にある約600人単位の大隊、約160人単位の中隊、約40人単位の小隊、約10人単位の班から成っていた。ハンスは中隊長になっていたので、約160人のリーダーだったことになる。ヒトラー・ユーゲントのリーダーになるには、管区の指導者養成所で約3週間の養成コースに参加する必要があったが、実際は指導者不足のため、このコースを受けずにリーダーとなる者も多かった。ハンスがこの「歴史、政治、人種生物学の充分な知識教育と相当な身体的訓練」を受たかどうかは不明。

ユーゲントの主な活動には、毎週水曜と土曜の午後に行われる「夕べの集い」(指導部が作成に関与したラジオ放送を聴く、リーダーが党の歴史に関する本を朗読する、等)と、月に1~2度週末に行われるキャンプ(年少組織は日帰り)があり、夏休みには1週間以上の長期キャンプがあった。青年運動のスタイルを取り入れているが、起床から就寝まで細かな規則に従い全員で行動することで、共同体への従属の意識を植え付けるものだった。


参考:
原田一美『ナチ独裁下の子どもたち』講談社/1999
平井正『ヒトラー・ユーゲント』中央公論新社/2001



小沢氏の目、隅々まで…「息が詰まりそう」の声も

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 鳩山政権内で権限を強めている民主党の小沢幹事長が、超党派の議員で構成される議員連盟の活動にも民主党幹事長室の関与を強める方針を打ち出した。

 新たな権限集中策とも受け止められ、「息が詰まりそうだ」という声も漏れている。

 ◆管理◆ 議連への関与強化の方針が示されたのは10月26日のことだった。

 小沢氏は副幹事長らを集めた会議で「国際親善などの議連の会長を野党が務めても、先方は困るだろう」と語った。出席者は「会長ポストを取ってこいという指令だと受け止めた。自民党が渋るなら、新しい議連を作れということだろう」と打ち明ける。実際、小沢氏は各種議連のリストアップを周辺に指示し、今後は会長交代や議連新設時に報告を求める構えだ。

 民主党幹事長室の権限は日増しに強まっている。2日には地方自治体など各方面からの陳情の窓口を幹事長室に一元化することも正式に決めたところだ。

 陳情改革の狙いについて小沢氏は10月29日夜、首相官邸近くのそば屋で幹事長室のメンバーらに「政務三役が仕事に集中できるよう党が支えないといけない」と説明している。閣僚、副大臣、政務官が陳情対応に忙殺されず、「自民党政権のように、族議員と官僚の間で不透明な政策調整が行われなくなる」というわけだ。地方組織の頭越しに族議員に陳情できなければ、組織や議員の地元での発言力強化にもつながる。小沢氏に近い議員は「政務三役の代理のつもりで陳情を受けてほしい。単なる『陳情取り次ぎ屋』になるな」と小沢氏から助言された。

 ただ、副幹事長それぞれがどれだけ裁量権を持てるかとなると、疑問の声も出ている。小沢氏の「管理」が厳しいからだ。

 例えば、小沢氏は副幹事長らに「国会の会期中は国会内の幹事長室にたむろしろ」と指示した。情報交換を密にする狙いだが、幹事長室に置かれた副幹事長らの連絡用ノートが「立ち寄った証拠に名前だけ書く人もいて、内容より書くことに意味がある『交換日記』と呼ばれている」(関係者)というほど、空気は重い。

 ◆理念◆ 小沢氏への集権は政府・与党一元化でもたらされている面がある。政策立案は政府に一元化するといいながら、実際の意思決定は小沢氏の意向を無視して進められないのが実態で、国会改革、陳情改革などによって、その状況が名実ともに堅固になっている。

 政府・与党一元化について、小沢氏は2日の記者会見で「諸君も、今までのパターンになじんできたから頭の転換ができていないんだ。(与党の)政調と政府という使い分けの頭が抜けきらないんだよ。しょせん、役人の手のひらじゃない」と語った。自民党政権が与党の立場と政府の立場を都合よく使い分けたことが、結局は官僚主導の政治をもたらしたとの考え方だ。

 そうした政策決定の透明化という理念そのものに反対する声はない。

 それでも、党内には「小沢氏の意向と言えば、何でも通る雰囲気がある」(中堅)との不満がくすぶる。先の衆院選で初当選した新人は「周辺の議員が小沢さんを神格化された存在に仕立て上げようとしている。1年生の気持ちは離れ始めている」と漏らす。

 過去にも、政党内に同様の空気が広がったことはある。2005年衆院選で与党が衆院の3分の2超を占める大勝をもたらした小泉首相(当時)のもと、自民党では「自由な議論がしにくくなった」と言われた。小泉氏に対する過度の配慮のためだ。07年参院選で民主党が参院第1党になった時は、代表として選挙を仕切った小沢氏の威光が強まり、約1年後の代表選で、小沢氏の政治手法に疑問を呈していた野田佳彦財務副大臣らも出馬を見送り、小沢氏が無投票3選した。

 選挙の大勝を背景に権限集中が進むことはしばしばあるが、民主党内には「衆院選で支持されたのは民主党で、小沢氏ではない」と、小沢氏の独走をけん制する声も出ている。

(2009年11月4日05時40分 読売新聞)
by momotaro-sakura | 2009-11-19 14:55 | ブログ