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坂本龍馬と『竜馬がゆく』 - 幕末維新史のスタンダード

坂本龍馬と『竜馬がゆく』 - 幕末維新史のスタンダード

青春歴史小説である『竜馬がゆく』は、『坂の上の雲』と並んで紛れもなく司馬遼太郎の代表作である。この小説を人生の一冊として挙げる日本人は特に多く、また功成り名を遂げた政治家や経営者が後輩に薦める一冊としても、この作品が選ばれる場合が圧倒的に多い。戦後に生きた多くの日本人を魅了し、心を励まし続けてきた、まさに国民的な歴史長編と言える。司馬遼太郎が死んで8年になるが、死の当時は『この国のかたち』や『明治という国家』に司馬遼太郎の思想の完成形態を見て、そこに注目する意識が強かったが、時間が経過して、司馬遼太郎の存在が次第に身近な関心から離れて行くと、あらためて小説『竜馬がゆく』の偉大さと言うか、作品の巨大な存在感と永遠の生命力を思い知らされる。この一作が無ければ司馬遼太郎は国民的作家にはなれない。『竜馬がゆく』は司馬遼太郎の代名詞である。『坂の上の雲』ほどにも評価は分かれることはなく、最後まで司馬遼太郎の代表作として日本人に愛され続けることだろう。

きわめて基本的な事実だが、明治維新の歴史を日本人に教える教科書の役割は、この数十年間、小説『竜馬がゆく』が果たしている。それに代わるものはない。幕末維新史についての一般理解は、羽仁五郎でもなく、遠山茂樹でもなく、奈良本辰也でもなく、司馬遼太郎が提供している。その他の歴史家の著作はサブテキストに過ぎない。今後、幕末維新史において司馬遼太郎の成果を駆逐する知的挑戦が出現する可能性は絶無とは言えないが、その想像は相当に困難なものであることは間違いない。司馬遼太郎の思想や作品が一体どの時点で相対化されるのか不明だが、それでも最後まで古典として生き続けて相対化を拒むのは、恐らくこの『竜馬がゆく』だろう。司馬遷の『史記』に匹敵し、ミッチェルの『風と共に去りぬ』、ツヴァイクの『マリー・アントワネット』に匹敵する。作品が世に出て40年になるが、考えてみれば、評価は年を追って確実なものとなり、細部の史実はともかく、幕末維新史の決定版として不動の地位を固めてきた。

これを読んだのは20代前半だったが、実に『竜馬がゆく』も読まないまま、講座派と労農派の日本資本主義論争の知識を大学の講義で得ていたことになる。本来なら高校時代に日本史の副読本として読めばよかったのだが、正直に言えば、受験生活の脅迫環境の中では無闇に長編小説に手を出すことは憚られたし、まして当時の司馬遼太郎の評価は現在とは異なっていて、大衆娯楽小説で時間を浪費するのではなく、夏目漱石や志賀直哉を一冊一冊読み上げることの方が、受験生には奨励されていたという事情があった。現在の高等学校の日本史教師なら、迷わずに必ず読めと生徒に薦めるだろうが、当時は必ずしもそういう状況ではなかった。司馬遼太郎の歴史小説は、知識よりも娯楽を提供する漫画的な物語であるという認識が支配的で、歴史の正確な理解がそれで得られるかどうかは疑問が持たれていたのである。明治維新の一般論を手早く得ようとすれば、司馬遼太郎よりも中公文庫(小西四郎・井上清)という時代だった。

司馬遼太郎の幕末維新史全体のワークの中で、『竜馬がゆく』は最初に書かれた作品であり、同時に全体のキーストーンの位置にある。幕末史の主要な事件や政争、特に京を舞台にした政治史は、ほぼこの作品でカバーされていると言ってよい。『竜馬がゆく』が幕末史の中心で、他は周辺なのだ。特に文久から元治、慶応にかけて京で起きた諸事件、寺田屋事件、池田屋事件、八・一八政変、禁門の変などは、この小説で明解に追跡できるものであり、攘夷と開国、尊王と佐幕、革命と反革命が複雑に交錯し、マヌーバーとテロリズムが渦巻き、諸勢力が熾烈に権力闘争の鍔迫り合いを演じる幕末の京の政治的緊張がよく諒解される。その中で、まさに坂本竜馬の一日一日をただ追って描くだけで、それが何よりも明瞭な幕末史の説明になるのである。幕末維新史は明らかに坂本龍馬を中心に回っている。浪人である坂本龍馬が歴史を素手で動かして、勝海舟も西郷隆盛も桂小五郎も松平春獄も、脇役になって歴史の回転の補助をしているのである。

この景観は実に不思議で、司馬遼太郎の言うとおり奇跡的なのだが、誰もこの見事な歴史的ヒロイズムを否定できない。坂本龍馬が幕末に出現した瞬間、日本史は日本史らしい凡庸さと淡白さを失って、神話的な英雄叙事詩に姿を変えてしまうのだ。あまりにもあざやかに濃密に、ロマンティックにドラマティックに、坂本龍馬の一日一日の動きがある。そして、陰謀と裏切と暗殺が横溢する激動の空間の中で、男と男の友情と信頼があり、生死を賭けた決断と美学がある。一日一日に真剣な人間の感動がある。美しい日本人の姿があり、日本人を心から感動させるドラマがある。勝も西郷も桂も春獄も、皆、本格的な政治家なのだが、彼らが少年のような無邪気さで竜馬と相対し、まるでドラマのキャストのように脚本の台詞を言い、若い革命家の歴史的偉業を実現させてゆく。溜息が出るほど清々しい。溌剌として颯爽とした好漢。坂本龍馬の活躍、明治維新の歴史、司馬遼太郎の小説。全て日本人の大切な精神的宝であり、我々はこれに感謝するのみである。

by momotaro-sakura | 2010-05-12 19:35