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四国旅行の記   訪問者5528人

朝5時に家を出た。
下妻の宅建事務所よりバスに乗り羽田に向かった。
羽田よりジェット機で高知龍馬空港に着いた。 

「高知龍馬空港」デビュー 誕生日に合わせ記念式典

 坂本龍馬の誕生日で命日でもある15日、高知空港の愛称が「高知龍馬空港」と制定され、記念式典が行われた。空港ビルには真新しい看板がお目見え。本県の観光振興の新たな起爆剤として全国にアピールし、観光客誘致を図っていく。

 人名を冠した空港は米国のジョン・F・ケネディ国際空港、イタリアのレオナルド・ダビンチ国際空港、英国のリバプール・ジョン・レノン空港などがあるが、日本では初めて。この日から機内や館内放送での呼び名は高知龍馬空港となる。

 式典では高知龍馬空港活用促進連絡会議の日和崎二郎議長が「愛称の目的は本県の経済活性化。全国、世界から観光客を誘致し、“外貨”を獲得する空の表玄関として、皆さんに親しんでもらえる空港であり続けてほしい」とあいさつ。関係者がくす玉を割ると同時に、空港ビルの外壁に設けられた「高知龍馬空港」の看板が除幕された。

 ビル内では、世界の人名空港を紹介するパネルを展示し、「よさこい龍馬連」が鳴子踊りを披露。到着ゲートでは、ミス高知や県内の観光関係者らが「ようこそ高知龍馬空港へ」と書かれた横断幕でお出迎え。県内のホテルや飲食店などの割引券になる「龍馬パスポート」や観光パンフレットなどを配布した。

 羽田、伊丹、名古屋の主要3拠点空港でも記念イベントを同時に開催。羽田空港では特設ステージで「ほにや」のメンバーが鳴子踊りを披露し、本県観光をPRした。

 




当地は台風の影響が無かったので、日差しがかなり強く南国に来たような暑さでした。
チャターした観光バス一行30名は、高知市内見物に走り出した。
市内には昔懐かしい電車が動いていた。
バスがはりまや橋に到着したので、ここで降り記念撮影をかわるがわるした。

よさこい節に歌われ、高知といえばはりまや橋と言われるほど有名な橋(?)です。
昔は高知城の堀川にかかった本当の橋だったのですが、川はなくなって久しく「日本3大がっかり」の一つと言われたりしていました。平成5年に、はりまや橋公園としてリニューアルしています。
バスが走っているあたりに昔は橋がありました。
はりまや橋は高知県内で、もっとも交通量の多い交差点です。
平成5年はりまや橋公園として整備されました。
はりまや橋のイメージとして作られた橋や、坊さんかんざしの像があります。
はりまや橋公園の東側
明治期の鉄の欄干のはりまや橋があります。


 


土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た、の歌の文句じゃないが、近くに珊瑚のお店が並んでた。
ここで坊さんが珊瑚のかんざしを買ってあげたのだな、と思った。
珊瑚でも血赤珊瑚が何十万もしていたようです。
はりまや橋はいくつもあって、道路際の方は大きなはりまや橋で中に入った小さな赤いはりまや橋が最近のはりまや橋だそうです。
もう一つのはりまや橋は地下にあるようです。
ここを後にして坂本竜馬の銅像がある桂浜に行った。

高知 桂浜
土佐湾に臨む白砂青松の浜辺で、月の名所として知られる。毎年中秋の名月の夜には名月酒供養が催され、高知が生んだ文人大町桂月[おおまちけいげつ]を偲ぶ。周辺には大町桂月記念碑などが立ち、散策によい。

③坂本龍馬像

坂本龍馬は高知の城下町に住む郷士の次男として生まれ(1835年)青年時代江戸に出、千葉道場で北辰一刀流を学び剣士として知られているが文久元年(1861年)いちはやく武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加した。
後、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し又長州(山口県)の桂小五郎(水戸孝允)薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を説いて慶応2年(1866年)薩長両藩の同盟協約を成功させ長州に押し寄せた幕府軍(徳川方)を撃破した。これを機会に討幕運動が高まったが龍馬はこの薩長連合の勢力に土佐藩を加えこれを背景とす王政復古を考え土佐藩の参政後藤象二郎を説き立憲的な議会制度を基とする新政府の出現を期した山内容堂(15代藩主)は後藤の提案を入れて慶応3年(1867年)10月3日将軍慶喜に政権奉還を建白した。将軍も時勢を察し10月14日に政権返上を朝廷に上奏した。龍馬はこれを喜び新政府創立に奔走したが11月15日京都河原町近江屋で幕府方の刺客に襲われ同士中岡慎太郎とともに凶刃に倒れた。
龍馬は海援隊隊長。慎太郎は陸援隊長として土佐藩の遊軍をつくり、その活躍が期待されたが幕末の新旧勢力対立の犠牲となった。時に龍馬は33歳、慎太郎は30歳であった。
 
龍馬の像はかなり大きいので、隣のやぐらから、龍馬の目線まで登った。
そこで記念写真をとったのです。
海の波間を見ると強い陽射しで桂浜の松の青と砂浜の白さが、くっきりと浮かびあがってきました。
そこで太平洋を眺めていたら、潮風に乗って海の香りがほんのりと漂ってきました。
坂本竜馬の目線は皇居とアメリカの方位にあるようです。
坂本龍馬の銅像前で一行の記念写真を撮りました。
ここの休憩所の売店で中くらいの土佐犬のぬいぐるみを買いました。

次は31番札所の竹林寺に遣ってきました。第31番札所
五台山 竹林寺
(ごだいさん ちくりんじ)
<第30番札所善楽寺~約7km/
車=20分、徒歩=2時間>
高知市五台山3577 TEL(088)882-3085
宿坊/なし交通手段/はりまや橋から土佐電鉄バス「竹林寺」行きで約20分、終点下車、徒歩3分。
善楽寺から南へ、2本の鉄塔がそびえる小高い山が五台山です。聖武天皇が行基に唐の五台山によく似た山を探して寺を建てるよう命じ、この地に竹林寺が建立されました。緑の中に、赤い五重塔がひときわ鮮やか。苔むしたお地蔵様や石段がお寺の歴史を偲ばせます。こけら葺き屋根の本堂と宝物殿に並ぶ17体の仏像は国の重要文化財。四国霊場では唯一文殊菩薩をご本尊とし受験生でも賑わいます。よさこい節で「坊さんかんざし買うを見た」と歌われているのは竹林寺の僧侶、純信。そんな恋のエピソードも秘められています。

奥に五重塔があり歴史を感じるお寺でした。
一日目はここで見学は終わりました。

土佐御苑から
夜の宴会は先ず鰹たたきの実演から始まった。料理は結構豪華で食べきれない程だった。宴はたけなわとなってカラオケを唄う人も多くバンバンでてきます。最後にはよさこい踊りを全員で踊った。この演出は今まで始まって以来の事でしたのでかなり受けたようです。

2005年 10月 20日
土佐御苑から
学生時代に読んだ竜馬がゆくを懐かしく想い出された。毎毎からいきたい所であったので今回の旅行は大変期待していました。私の風雲時代の心の支えにもなったこの地を昨日はゆっくりと堪能することが出来た。特に桂浜に建っている坂本竜馬の像から竜馬の目の視線から地平線の黒潮を見ると、遥か離れた欧米諸国を見つめているようにも思いた。

2005年 10月 20日
土佐御苑から 編集 | 削除
昨日はとても楽しかった一日だった。高知竜馬空港に着いたとき、羽田からではかなりあったかいので、さすが南国の土佐だなと思いながら、外にでたら強い日差しがサンサンと照りつけていた。坂本竜馬の生誕の地です。自由民権運動の板垣退助の生誕地でもあった。幕末から明治にかけて活躍した人たちが次々と思い起こされてきた。日本では最初の自由の気風の発祥地であり、のちのち自由民主党の基礎をつくった吉田茂の生誕地でもあった。歴史に登場する人物が余りにも数多く輩出しているのには、驚いた。それだけに、この地に足を踏んだとき
by momotaro-sakura | 2005-10-26 20:24