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むかしの同志

今回の選挙で新たなコミニュケーションが生まれた。
実は中田候補のSAKURAGAWA-CITYのホームページを担当したチーフが今は亡き久野先生初戦の時の同志であったとは驚きました。
之は私が私のブログに携帯から現地・協和中央病院の久野先生の銅像を送ったのが切っ掛けでした。
恐らく亡久野先生が二人を合わせたのでしょう。
ここ毎日中央病院には行ってるので、亡久野先生の銅像の前を通過する度に毎日手を合わせております。

今回みたいな圧勝の時はべつですが、接戦の時の選挙は特に厳しいものがあります。
世の中には番狂わせが多いものだ。

特にH候補への中村喜四郎氏の出番がなかった事は、致命的であったことと思う。
これで2000-3000票は狂った。
6期24年間の自負心も時には協力者の人心を惑わしたように思え、自分自身の大敵にもなったことと思う。
出陣式のN候補の4500人の動員数とH候補の1500人の動員数で大体勝負は決まったもんですが、結果的の票が3倍に為らなかったのがとりえです。

そしてH候補の敗因のもう一つの致命的なことは、前回までの6期24年間分の支持者の票のリストがすべてN候補に渡っていたことです。
相手が読む票通りに20000票近くまで行ってしまったという事です。
土曜日の夕方、その様な同じ情報を岩瀬地区で得たが、まさかと思ったが本当に為ってしまった。
まさか私も、死に物狂いで票を集めているH候補の支持者を見ていたので、その事実はブログではかけなかった。
私の性格は一心不乱で頑張ってる人には協力するが、勝ち誇ってる人には絶対手は貸さない性格である。

この選挙は完全に相手に読まれていた選挙であったことが数字で証明してます。

今回の選挙は、私は何処の事務所にも挨拶はしてない。

私の気が向くままの戦いであった。

今回の私の戦いは大和地区の利益、大和中建設を考えただけであるから、それが3年後には達成しそうだ。

こちらはマニフェスト通りに建設してくれれば何も言うことはない。

大和地区の之だけの票が岩瀬の中田候補に協力したのだから、大和中の新校舎の実現は早まることになるでしょう。

大和地区も分裂して双方別な候補の支持の戦いでしたが、大和中建設に於いては、同じ思いの戦いであったことは明記して置いたほうが、賢い考え方だと思う。

私は4年に一度の言いたいことを言わせて貰っただけです。

政治家は4年に一度は悪口を言われるのが職務です。

私の発言が早急に大和中建設着工を早めさせことは確実だ!!

又4年後も私が生きていたら言わせて頂きます。

そのときはまた歯に衣を着せないで、ズバリ勝負に出ます。
by momotaro-sakura | 2005-11-01 09:51