2005年 08月 02日
芥川の朱儒の言葉
さっそく購入し本を宅急便で送ってもらった。先ほど(午後6時ごろ)届いたばかりです。
梱包された本を取り出した。
この本は昭和30年4月21日発行のもので懐かしく感じました。
私が高校に入学したのは36年でしたので6年前のものでした。
第1刷発行ですから貴重品です。当時の定価は150円です。
今回の購入価格は20冊で3000円でした。
装丁は布の表紙でよく出来ていて高級でした。
しかし、50年前の定価とうりに買ったことになります。
送料が700円でした。まる1日で着いちゃうのですから、宅配はとても便利です。
実は12巻目の「評論」の中の「朱儒の言葉」が読みたかったので、1時間ばかり読んだ。
高校時代に読んだ時には難しく感じられたのに今回は素直に頭に入って来た。
解釈のむずかしい所はあるが、芥川が言わんとすることは大ざっぱではあるが呑み込めた。
高校時代の国語の先生が「10代のとき読んだ時と、50代のとき読むのとでは感じとり方が違って来る」と言っていた記憶を思いだされた。
恐らく、その間のその人其々により数多の経験が読む人の心に加味される事により感じ方が異なるのでしょう。
私のブログに使用している「瑣事」という言葉は、此処から引用しています。
芥川は朱儒の言葉の「瑣事」の中で言っています。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならないし、瑣事の為に苦しまなければならないと。---
あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬし、堕地獄の苦痛を感じなければならぬと。
「人生」の中では、人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのはばかばかしい。
重大に扱わなければ危険である。
「人生落丁の多い書物に似ている。
一部を成すとは称し難い。
しかし兎に角一部を成している。
「暴力」の中では、人生は常に複雑である。
複雑なる人生を簡単にするものは暴力よりほかにある筈はない。
これ等の言葉は今で言う人生へのコメントでありブログである。
次回へ続く・・・