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受験戦争から外された世界史教育 

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高校で世界史の単位を取らなくても大学に入ってから
一般教養で取ればよい事は判っているが、
それでは高校時代での多感な時代に勉強するのと
ニュアンスながら違いがあるようです。
高校時代の理科と社会は大学に入ると
一般教養として重複して学ぶが、
実際単位を取得するために学んでいると
何となく興味が湧かなく味気ないものを感じた記憶がある。
何事も興味が湧いてくる年令は
中学から高校間に多く出て来るものです。
自我の目覚める時期に数多の科目を
学んでおくことが必要な事と思います。
実際、高校時代までに覚えたことはこの年になっても
はっきりと記憶している傾向にあるが、
大学に入ってから学んだことより新鮮なものとして映っているのである。
このような私の体験から見ると
やはり高校時代には広き知識を求める必要があると思う。
大学からは専門分野を学ぶことですから、
高校時代に完璧に勉強させておけば
大学まで学ぶ必要がないのではないかと思う。
そうすれば理科や社会を一科目だけ学ぶだけで
高卒の単位が取れるなどと安易な考えを
起こさなくなるのではないかと思う。
やはり大学受験は国立の受験と同様に
私立も5科目を受けさせる必要がある。
私も5科目を勉強して受験に望んだので
私立は理科系でも文科系でも受験することが出来たのである。
早く言えば「つぶし」が出来たのでした。
若い時代に学んだことは血肉となって
生涯生き続けるものであるので、
これだけ勉強すれば良いなどと安易な教育は
甚だ危険な狂育となって、未熟な大学生を
作ってしまうことになるのではないかと思う。
基礎的知識は死ぬまで続くので
このような浅学の医師や弁護士や教師等の輩出は
致命的なものとなる。
勉強勉強の毎日で、「灰色」であった私の高校時代が、
今になって「ばら色」に変わり、懐かしさが感じられるのである。
嫌いな学問でも時が経つと好きになるものである。
まして私などは世界史が大好きで
昨年は早稲田大学のオープンカレッジの学生に登録し
受講した程でした。
吉村作治教授の「エジプト考古学講座」の
講義を生で受けさせて頂きました。
若い学生から老齢の方迄聴講に来ていました。
一年間の講義でしたので週一度の授業が楽しみでした。
学問はやはり就職の為ではなく、自分の心を豊かに
するためにすれば、興味が湧くし、楽しいものである。

by momotaro-sakura | 2006-10-26 08:09