人気ブログランキング | 話題のタグを見る

遊びということ

自転車のチェーンや木や竹を伐るチェーン・ソーには少なからずの「遊び」と言う、「たるみ」が必要です。遊びが無いと自転車をこぐ場合にエライ力を掛け大変疲れるのである。また遊びがあるとペタルをこぐときに弾みもつくので大変楽にこげるのである。そこにチェーン専用のオイルでも注ぐとよりペタルをこぐのが楽になる。チェーン・ソーもしかりで、遊びが無いとガソリンやオイルのメリが大変多く、マシーンにかかる負担が極めて多いので摩耗も甚だ激しい。昨日と一昨日、貸家の裏の竹藪の竹を伐るので、チェーン・ソーを貸してあげた。借家人が夏になると竹笹と藪蚊に悩まされてるので、是非伐採したいと申し出てきたので、マシーンを貸してあげたのである。竹笹は樋に蓄まって樋の流れを悪くするようです。藪蚊は網戸があっても他の隙間から入ってくるようです。隣の新築の家も竹藪ではかなり悩まされているとのことで、毎年竹の子が出てくると刈り取っていました。ここの地主も空き地条令を無視した管理不行届きで、荒地同様になってるので、隣人は大変困っています。一人の借家人が何とかしなくてはならないと憤りを感じ、伐採に踏み切ったようです。竹は刈り取らないと次々と土地を荒らして行きます。自分の土地だけなら良いのですが、他人の土地まで、侵略していき、隣地まで荒らすことになるので大変迷惑することなのです。桜川市もこのような荒地の管理を地主に徹底させるように通告すべきであり、住宅地に近い空き地には罰金を課すべきである。それでないと、あちらこちらで喧嘩が絶えなくなる恐れが出てくる。喧嘩になってから仲裁では後の祭りであり、遺恨が残ることになる。 合併したからこそ、細かな面にも目を通さないと、トラブルの原因が多くなるのです。 行政のたるみはけして良い結果にはならないと思う。遊びの話から横に反れたようだが、遊びにおける「たるみ」や「ゆるみ」は時と場合によって違いが出てくる。必要の場合もあり、堕落の一途を辿り、奈落の底に落ちる時もある。私などは余り遊びすぎて奈落の底を見てきました。遊びと仕事は一心同体だと思うが、ただそれに拘ると、破滅の道を知ることになる。人生一寸先は闇である。判っているふりしても、判らないのが人生です。今や世の中レジャーの時代だが、余りそれに便乗してると破滅の道がそこまで来ているのである。栄華は一時である。私の身近な人にこのような人が居りました。家族で年一・ニ回は海外旅行をしていました。年収は20年前で2000万位とっていたが、最後には夜逃げ同然に海外逃亡を謀った。4~5年位経ってから日本に戻ってきたようです。このような人を見ていると、虚栄心は身を滅ぼす最大の要因であることがわかる。虚栄で栄えた試しがない。何事も質素倹約を旨とする生き方が最上な生き方だと思います。私の家には乃木希典大将の実筆の書が座敷に飾ってあります。私の祖父が乃木大将の近衛兵でしたので、日露戦争で手柄をたてた時、ご褒美として戴いてきたようです。幼き頃から見てきた『赤心』と言う一筆が

遊びということ_e0009760_885167.jpg
我が家の家訓であり、何時でもわが心から消えることはなかったのである。幼き頃から、母に乃木大将の質素倹約を教えられたが、今になって初めてその重要性を知った。武人としては、今一であるが、文人としては、秀でるものがありました。我が家は乃木大将と共に生きてきたと言ってもけして過言ではないのである。今日は乃木坂駅前の国立新美術館近くにある乃木神社をお参りしてから、東京ミッド・タウン・タワーで昼食をし、隣のサントリー美術館に寄りながら八丁堀にある早稲田大学のオープンカレッジの3時からの講義「左甚五郎の聴き比べ」の2回目にでるつもりである。

by momotaro-sakura | 2007-05-08 07:07