2018年 10月 04日 ( 1 )

黄金の国・ジバング

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幾度かの蒙古襲来の歴史が判るような気がします!散歩距離3.8km/この方角(平真樹の館)から、平将門は新皇の夢を見た!時代平安時代中期 生誕不詳 死没天慶3年2月14日(940年3月25日) 別名豐田小次郎、相馬小次郎、滝口小次郎、新皇 墓所東京都千代田区・将門塚(首塚)茨城県坂東市・延命院(胴塚) 氏族桓武平氏、房総平氏 父母父:平良将、母:県犬養春枝女(あがたのいぬかいのはるえのむすめ) 兄弟将持、将弘、将門、将頼、将平将文、将武、将為 妻正室:平真樹の娘(桜川市大国玉木崎に妃神社として祀られております)・君の御前:平良兼の娘側室:藤原村雄の娘?・桔梗姫など 子良門、将国、景遠、千世丸、五月姫、春姫(平忠頼室)、如蔵尼 平 将門(たいら の まさかど、-將門)は、平安時代中期の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫。 下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。 しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛(桜川市高久に高久神社を祀った)らにより討伐された(承平天慶の乱)。 死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使した。
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10月3日午前5時頃、絵に描いたような雲と加波山。散歩距離4.6km
by momotaro-sakura | 2018-10-04 07:43 | ガーデニングと野菜作り/近郊周辺散歩